加藤サトリ インスタントコーヒー開発?謎科学者

人物

米国の人気のBlue Bottle Coffee(ブルーボトルコーヒー)。

創業者のジェームズ・フリーマン氏は、日本のサイフォンやネルドリップでコーヒーを提供する喫茶店文化に影響を受けたと言われます。2002年に創業したBlue Bottle Coffee(ブルーボトルコーヒー)は、サードウェーブと呼ばれ、米国における3回目のコーヒーの流行のこと。

19世紀後半から1960年代における、インスタントコーヒーなどの普及により急速に家庭に広まったファーストウェーブ、1960年代から2000年頃にかけてのスターバックスなどのシアトル系コーヒーに代表されるコーヒーの風味を重視するセカンドウェーブに次ぐ、コーヒー本来の価値を重視する第3のコーヒーの流行を指す。

1杯ごとに丁寧に提供し、画一的ではなく、店ごとに個性があることを指すようですが、日本の「喫茶店」をおしゃれにリブートした印象です。

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コーヒー文化を調べると、謎の人物「加藤サトリ」という人物が出てきます。日本の科学者でシカゴに留学していました。

生没不明で、よくわからない人生をたどったと思われる人ですが、ネスレより(38年)先にインスタントコーヒーを開発した日本人として記録されています。

当初、緑茶の緑茶粉末化の研究を行っていた。水分除去法を研究開発に、米国のコーヒー輸入業者が彼に目をつけます。コーヒーのインスタントの研究を依頼しました。

米国人科学者とともに研究を重ね、1899年、コーヒー抽出液を真空乾燥して粉末にすることに成功。1901年、ニューヨーク州バッファローで開催されたパンアメリカン博覧会において「ソリュブル・コーヒー」(可溶性コーヒー)として発表。1901年に特許出願を行い、1903年に特許を取得した。世界初というわけではありませんが、3番目の特許取得したことになります。

Kato Coffee Company(カトウコーヒー社)を設立していたことから、商業的な成功を目指していたことが推測できるが、残念ながら商品化に至りません。加藤サトリ博士が、開発したの技術は、安定した粉末製品を製造するための最初の成功例だったとされています。

上手くやれば大金持ちにもなれたかも知れませんが、時代に埋もれてしまいます。このときインスタントコーヒーの開発競争が行われていますが、最終的に時流に乗り、商業的に市場を制したのは、おなじみのネスレ社でした。

インスタントコーヒーの開発において最も古い記録は1771年のイギリスです。250年前のことで、詳細がわかりませんが、商品としては未熟なもので、普及はしませんでした。

記録的にはフランス人作家のアルフォンス・アレーがインスタントコーヒーの開発者として名を残しています。1881年、軍隊用のコーヒーとして凍結乾燥させたインスタントコーヒーを作ることに成功し特許を取得。彼は作家活動(政治風刺の短編コント)に傾倒していったため、商品化には至りませんでした。

1889年、ニュージランドのコーヒー販売業者デイビッド・ストラングが可溶性コーヒー粉末を開発して特許を取得した。こちらはきちんと製品化された世界初のインスタントコーヒーであり「ストラング・コーヒー」名付けられて販売されたが、うまくはいかなかった。

1906年、アメリカ人発明家のジョージ・ワシントンが、別のインスタントコーヒーの特許を取得した。このインスタントコーヒーは「Red E Coffee」と名付けられ大量生産された。「Red E Coffee」は第一次世界大戦中の米軍で供給されるなど、1910年頃から30年もの間、米国のインスタントコーヒー市場を席巻。

先行企業として市場を制していたはずの「Red E Coffee」は、1920年代後半のブラジルのコーヒー農園の大豊作により、価格変動に巻き込まれ、主役の座を降りることに。

大量に取れてしまった作物、大量の余剰分の取り扱いに困ったブラジル政府は、加工製造・開発を手掛けているスイスのネスレ社に要請。ネスレ社はこれを機に本格的にインスタントコーヒーの開発を行う。

1937年、スプレードライ法によるインスタントコーヒーの開発に成功する。このインスタントコーヒーは「ネスカフェ」と名付けられ1938年に販売開始された。

この「ネスカフェ」が1941年から始まる第二次大戦で、軍の正式な飲料と採用され兵士から人気に。戦後も習慣として浸透したため、一般に普及することになる。

日本でも、コーヒーが提供されたのも兵士たちでした。蝦夷地の兵隊の寒さ対策に、薬の一種として1868年(明治元年)に正式に採用さます。

昭和になると、布にコーヒー粉をいれドリップする「ネルドリップ抽出法」が主流になります。安価なことが要因と言われます。その後、1959年、コーヒー器具メーカー・カリタが創業、紙で濾過するペーパードリップ式が爆発的普及、手入れが楽なことから家庭にも浸透します。

カリタは日本の企業で、1958年に木村コーヒー店の関連会社である木村商事に努めていた糸満盛京によって設立されました。木村コーヒーは現在のキーコーヒー。1980年代の喫茶店ブームにより需要をつかみ成長した企業です。

ペーパードリップの産みの親はドイツのコーヒー器具メーカー・メリタ。1908年にドイツの主婦メリタ・ベンツによって創設された企業です。名前が近いことから混同されがちですが、資本関係はなく無関係、カリタのほうが後発ですが、「カリタ式」と呼ばれる独自の製品で世界的に評価されています。

日本では、手作業によるハンドドリップで丁寧に淹れるコーヒーがもてはやされましたが、欧米では機械化が進みます。これに反発するかたちでシアトル系と呼ばれるカフェが生まれます。さらに進化してサードウェーブカフェが生まれる流れとなります。

 

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