イリヤ・イワノフ 人とチンパンジーの異種間交雑

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人とチンパンジーが交配できのか?

人間とチンパンジー、ゲノムの違いはわずか1.2%です。人間は今からおよそ500万年前、チンパンジーの仲間から進化したと考えられています。 人間と人間に最も近いといわれているチンパンジーのゲノム(全遺伝情報)を比べてみると、約98.8%が同じです。 驚くことに、その違いはわずか1.2%です。

遺伝子の違いもわからない100年前に人間とチンパンジーの交配実験を行った人物がいます。おそろしい出来事ですが、最近の中国では近い実験も行われていると言われています。

人と猿のキメラ「ヒューマンジー」を作ろうとしたマッドサイエンティスト。常軌を逸した天才科学者のことを言います。 利己的な欲望・目的を遂げるために科学を悪用したり、研究に没頭するあまり倫理を逸脱したりして、奇想天外な発明を行い、恐怖や混乱を引き起こします。

ロシア・ソ連の生物学者イリヤ・イワノビッチ・イワノフ(1870〜1932)もマッドサイエンティストの一人です。ヒトとチンパンジーを融合させた「ヒューマンジー(humanzee)計画」により後世に名を残しました。

人工授精と動物の種間交雑の分野を専門とするロシアとソビエトの生物学者でした。 彼は、人間の精子を 3 匹の雌のチンパンジーに授精することによって、人間と類人猿のハイブリッドを作成するという物議をかもした試みで有名です。

1896年にハリコフ大学を卒業し、1907年に教授になります。

アスカニア・ノヴァ自然保護区で研究者として働き、また国立実験獣医研究所 (1917-1921年、1924-1930年)、中央実験ステーションで働きます。 家畜の繁殖に関する研究 (1921-1924)、およびモスクワ高等動物園研究所 (1928-1930)。

20世紀初頭、人工授精とその馬の繁殖への実用化を完成させました。 この技術により、1 頭の種牡馬で最大 500 頭の牝馬を受精させることができることを証明しました (自然受精では 20 ~ 30 頭でした)。 その結果は当時としてはセンセーショナルであり、イワノフのステーションには世界中の多くの馬のブリーダーが頻繁に訪れました。

この人工授精による馬の大量繁殖の実用化を完成させ、一躍有名になります。この功績が認められるにつれ、次第に過激化していきます。

雄の精子を他種のさまざまな動物に注入する異種間交雑におこないます。

イワノフの研究の中で最も物議を醸したのは、人間と類人猿のハイブリッドを作ろうとした彼の試みである。 早くも1910年に、彼はオーストリアのグラーツで開催された世界動物学者会議でプレゼンテーションを行い、その中で人工授精によってそのような雑種を得られる可能性を説明しました。

独断で実験を進めていきます。ソビエト連邦科学アカデミーとボリシェビキ政府に承認を得ることなく、研究資金をソビエト金融委員会から受け取っています。ロシアからソ連に移行するロシア革命の時代です。政治的混乱が1922年まで続き、初の共産主義国家・ソ連が誕生します。

フランスのパスツール研究所に所属していた1924年、実行に移します。

さらに、当時のフランス領・ギニアにあった動物施設に保護されているチンパンジーを好きに扱える許可を得ました。1926年、ヒトの精子を人工授精させる前に、ヒトの卵巣をチンパンジーに移植します。 人間と非人間のハイブリッドを作成する一連の実験は、3匹の雌のチンパンジーに人間の精子を授精させたが、妊娠には至らなかった。

この失敗でアプローチを変えます。今度は、

雄のチンパンジーから採取した精子をアフリカ人女性に、人工授精させる計画を立てます。計画を察知したフランス政府が激怒、イワノフは20頭のチンパンジーをつれて、アブハジアというコーカサスの地域に逃避します。

ソ連の女性5人を募集し、実行に移そうとしましたが、チンパンジーが死んでしまいます。

別の手段を模索している間に、ソビエト科学アカデミーにばれます。1930年12月13日、イワノフは逮捕され、計画は実現されないまま、1932年3月20日に脳卒中で亡くなりました。

逮捕された時点で、モスクワ高等動物園研究所に勤務しています。実験を咎められ逮捕というわけではなく、政治的な発言、振る舞いによるもの。5年間のカザフスタン共和国のアルマ・アタに島流し刑となり、カザフスタンの獣医動物学研究所で働いているときに、亡くなります。

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