ドナルド・キーホー『空飛ぶ円盤は実在する』

人物

1950年に「空飛ぶ円盤は宇宙人の乗りもの」

と最初に言い出し、現在につながる陰謀論的UFO観を世間に広めた人物。

空飛ぶ円盤は、1947年に「ケネス・アーノルド事件」によって注目を集めていた。

ケネス・アーノルド事件とは、

1947年6月24日にワシントン州で起こったUFO遭遇事件。この事件により「空飛ぶ円盤(フライングソーサー)」というイメージ・呼称が世間に定着した。

1947年6月24日、ケネス・アーノルドは、ワシントン州のカスケード山脈にあるレーニア山付近の高度2,900メートル上空を自家用飛行機で飛行していた。

飛行目的は前日に消息を絶っていた海兵隊の輸送機の捜索。報奨金5,000ドル目当て。

午後2時59分頃、アーノルドはレーニア山付近の上空を、北から南へ向けて高速で飛行する9個の奇妙な物体を目撃した。物体は鎖のように一直線につながっていた。

目撃した物体は、尾部はなく、平たい形状で、翼があり、ジェットエンジンの音なども聞こえなかった。

地元アメリカのマスコミはその物体を空飛ぶ円盤(Flying Saucer)と名付けて大々的に報道し、その後同様の目撃談が相次いで報告された。

この事件を受け、アメリカFBI長官のジョン・エドガー・フーヴァーは直後の6月30日にUFOの目撃例を調査するプロジェクトを発足させた。

1947年7月8日にロズウェル事件も発生しているが、31年後の1978年、UFOを研究しているスタントン・T・フリードマンにより掘り起こされた話。
時代背景として、ソ連の核兵器開発が成功、冷戦によるヒステリックな「赤狩り」が社会を覆っている時代。
「空飛ぶ円盤」が世間の注目浴びている状況で、ドナルド・キーホーは調査に乗りだします。彼は海兵隊少佐の経験から、関係者からの情報収集をおこなうが、すべての情報が遮断されたことで懐疑心を募らせる。
彼の経歴の中に、飛行機とパルプ作家がある。
1922年、グアムにおける飛行機の墜落事故で腕を負傷。治療中に小説を書き始める。その後、後遺症から1923年に除隊。測量局や商務省に勤務。

1927年、チャールズ・リンドバーグのアシスタント。リンドバーグの世界初の大西洋単独無着陸飛行成功によって人気となった飛行機による大陸横断旅行をマネージメントを始める。このときの経験を最初の著書『Flying With Lindbergh』(1928年)を執筆している。

パルプ・マガジン、パルプ作家とは、

第二次大戦以前に流行した、低質な紙を使用した安価な大衆向け雑誌の総称。「タイム」など、光沢紙を使った「slick」(スリック、スベスベな)雑誌と相反するもの。

キーホーの作品は、『フライング・エイシーズ』誌などの多くの飛行機もののパルプ小説を執筆し、ヒーローを生み出している。超能力や超常現象を身につけた主人公が活躍する三文小説。

ということは?

キーホーが宇宙人と空飛ぶ円盤を結びつける前は、観測気球、ソ連の新兵器、神の創造、自然現象、見間違えなどでした。ファンタジー小説の延長で、宇宙人と政府の陰謀とを結びつけ「飯のタネ」に成功します。

『空飛ぶ円盤は実在する』

1949年12月26日に発売された男性向け人気雑誌『トゥルー』誌に記事を掲載する。

当局の反応からキーホーは、「空飛ぶ円盤は、その形状、飛行特性、速度、発光などから見て、高度な知性と地球上のどの国家にもなしとげることが出来ないテクノロジーの産物であり、合衆国政府はそれに関するあらゆる情報を隠蔽しようとしている」との結論に達した。

大きな話題となり、翌年発売されたペーパーバック版『空飛ぶ円盤は実在する』は当時としては破格の50万部を売り上げる大ヒットとなった。

さらに、UFO研究家として

「空軍は空飛ぶ円盤は地球外生命体の乗る宇宙船であることを知りながら、大衆がパニックを起こすことを恐れてその事実を隠蔽している」

「アメリカ政府はUFOについて適切な研究を実施すべきであり、全てのUFO事件についての調査ファイルを公表しなければならない」

「異星人たちは友好的で、200年以上にわたって地球を観察し続けてきた」

と主張。今に至るUFOに関する都市伝説を完成させている。

キーホー自身は、1973年「オペレーション・ルアー」(地球外生命体を地上に誘う計画)について書いたUFO本『未知なるUFO』を刊行し、表立った活動を終えている。1988年11月29日に没、91歳の長寿を全うしている。

ケネス・アーノルドが目撃した円盤は扇形で、今のステルス戦闘機に似ている。

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