詐欺師チャールズ・ポンジ(ポンジ・スキーム)

人物

ポンジ・スキームは古くからある投資詐欺の手法で、アメリカの天才詐欺師、チャールズ・ポンジから名付けられました。 ポンジ・スキームでは、集めた出資金を投資に運用しているように見せかけておきながら、実際は運用などはせずに、集めたお金の一部を出資者である顧客に配当します。

流行りの詐欺「ポンジ・スキーム」に騙される人が増えている。あまり一般的ではないかもしれない。詐欺の手法の一つで、ポンジ・スキームに引っかかって大きな被害・損失を被る人が後を絶たない。

「ポンジ・スキーム」とは?

ポンジ・スキームについて、日本弁護士連合会は「詐欺的商法の一種」と表現している。

多くの個人からお金を集め、その一部を配当金などとして個人に戻す。実際には預かったお金を運用せず、集めたお金の一部から配当金を出すだけ。最終的にはお金を預けてくれた個人に元本を返さず、途中から配当金も出さず雲隠れする。

異常に高い金利で、お金に貪欲で異常な金利を受け入れる人たちを探します。

お金を預けてからしばらくは計画どおりに配当金を受け取ることができ、「投資して良かった」と思う。しかし、途中から配当金の支払いが滞るようになり、投資した元金を返してもらおうとしても、関係者と連絡が取れなくなる。 5.結局元金も返してもらえず、配当金ももらえず、大きな損失が残る。

ねずみ講と似ていますが、違いがあります。

ポンジースキームは要するに自転車操業のことです。投資の実態がないあるいは集めた資金に対して過少な投資しかしておらず、利益など出ていないのに集めたお金の中から過大な配当や解約でお金を払い、最終的には必ず破綻するのがポンジースキームです。

ネズミ講も似てはいますが、名称の由来はネズミが子孫を猛烈な勢いで増やすことに由来しており、投資に応じた人たちを、勧誘することに成功すれば勧誘報酬を支払うとして増殖していきます。近い人達を巻き込むのが本質です。投資ではなく、商品の販売方法が主で、悪質なマルチに商法に近い。

ポンジースキームの投資詐欺にはネズミ講の要素を含むものと含まないものがあります。「エビの養殖」などはハイブリットな詐欺形態です。高い紹介料を得られるタイプで、周囲を巻き込みながら拡大していきます。

常識があれば引っかかることはありません。ねずみ講などの商品があれば、探りを入れることができますが、金融商品となると一段ハードルが上がります。投資経験がないと怪しい運営元に危険性を感じるアンテナがないかも知れません。とくに、仮想通貨などが絡むと不透明感が増加します。

理解できないもの、わからないものには、触れない。

ポンジ・スキームで提案される金利は異常です。月利5%、年利にすると60%です。そんなことはありえないのです。投資の神様のウォーレン・バフェットでさえ平均年利が約20%です。世界の超一流のファンドマネージャー、世界に名前を轟かせるヘッジファンドでもそんな儲けることは不可能です。それが高級ブランドを意地汚くまとったお兄ちゃんにできるわけがないのです。

チャールズ・ポンジ(1882年3月3日 – 1949年1月18日)

1910年代から1920年代にかけてアメリカ合衆国で活動した詐欺師。米国は第一次大戦に参加しておらず、好景気を謳歌します。労働者のブルーカラーにまで投資熱が浸透しているときに、切手の交換レートと実際の外貨交換レートに差があり、利ざやを得ることができることに目を付け、広く投資家を集めます。

1919年12月にボストンでセキュリティ・エクスチェンジ・カンパニー(SEC)という投資会社を立ち上げます。会社を立ち上げて数か月で350万ドルの現金を集めました。

新聞を使って仕掛的な宣伝広告をうちます。1920年7月24日のボストンポスト紙には「3ヵ月で倍に」。儲け話に沸く好意的な投資家たちの声を掲載していました。集めた金を投資することなく、一部投資家たちへの利益返金や遊興費やレキシントンの豪華な邸宅や車の購入費に充てています。

ワイン会社とマカロニを製造する会社を購入し、投資家に返済するためにいくらかの利益を得ようとしましたが、すべて失敗します。 銀行も買収しています。ボストンにあるハノーバー信託銀行。この銀行は、イタリア移民を対象とした小さな銀行でした。

しかし、気づく人がいました。1920年、SECに事務用品をレンタルしていたJ・R・ダニエルズは、儲けているはずのSECが何故事務用品がレンタルのままなのか疑念を持ち、司法当局に訴えます。

ポンジは余裕を崩さず投資家に対して利息を支払い、返金にも応じていたが、恐れをなした部下によって運転資金が持ち逃げされます。

詐欺容疑で告発され、詐欺罪により連邦刑務所に収容された。3年4ヶ月後にはマサチューセッツ州の州刑務所に移送され、7年から9年の刑に服します。

仮釈放となった後も1934年にフロリダ州で、不動産詐欺を働くなどしたためアメリカ市民権を剥奪され、イタリアに強制送還された。その後ブラジルに渡り、1949年1月18日、リオデジャネイロの慈善病院にてその生涯を終えた。

オレンジ共済組合事件(1992年)

現役の政治家が行っていた詐欺事件で、暴力団・住吉会とも関係があったといわれる事件。金庫番の男性は山中に埋められていました。年利もそれほど異常ではありませんでした。

友部達夫元参議院議員の政治団体が運営していた共催団体で、この組合が1992年〜1996年にかけてポンジスキームの詐欺を働いていました。1997年に友部は逮捕され2001年に懲役10年の実刑判決が確定し、議員を離職しています。

オレンジ共済組合は、年利6〜 7%配当と謡った投資商品「オレンジスーパー定期」で約93億円の資金を集めていたものの、大半の資金は選挙費用や政界工作費、借金返済など私的に流用されていました。事件発覚後に組合は倒産して、ほとんどお金は返金されずに大勢の方が被害を受けた事件です。

平成電電事件(2006年)

電気通信事業を行っていて破産した平成電電株式会社の元経営陣が詐欺罪で逮捕された事件です。2005年に1200億円の負債を抱えて破産したことを機に、特別目的会社の「平成電電システム」と「平成電電設備」による投資サービスの配当停止になり詐欺の容疑がかかる要因となりました。

前身はインターネット・サービス・プロバイダのトライネットワークインターナショナル(略称:TRY-NET)。直収電話を平成電話(後にCHOKKA)・ADSLを電光石火のサービス名で提供していた。また、加入者向けにNTT東日本・NTT西日本の電話加入権の買取のキャンペーンも行っていた。加入者数も2003年3月の90万人余に対し2004年3月には約350万人に増えた。一見経営は順調に見えた。しかし資金繰りには無理があった。

2002年6月から募集を始めた「ADSLモデムオーナー」では、実質年利回り26.4%という異常な高利回りだった。明らかに自転車操業であるが、ごく初期の契約者に限っては元を取ることも出来たらしい。

2003年10月から募集を始めた「平成電話パートナーシステム」では、やはり高利回りを謳って1口1000万円で資金を集めた。集めた資金総額は15億円程度。この募集の際には「倒産した場合には資金は一切返済されない」旨が注記されていた。

結果的にこれに応じた契約者は出した出資金のほとんどすべてを失うことになった。事業はもともと採算ベースでなかったので、会社の経営はどんどん悪化していった。資金繰りに苦しんだ末、返済するメドもないまま、年利10%という異常な高金利で釣って投資家の金を集め約19000人から約490億円を集めた。

日経225先物アービトラージ詐欺事件(2016年)

ファンド会社のクエストキャピタルマネージメント有限会社が日経225先物をアービトラージ取引で運用すると謡って出資金を集めた詐欺事件。約60人から113億円の出資金を集めていたものの、実際はほぼ運用実績がなく出資金を配当にまわす自転車操業だった。

日経225先物アービトラージ詐欺事件では有名人のGACKTさんや江角マキコさん、布袋寅泰さんも投資をして被害にあいました。さらに寿司チェーンの小僧寿しも1億円出資したと報道関係者より報じられていました。

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