瀕死のメガネスーパーを再生した星﨑尚彦・社長解任

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メガネスーパーの星﨑尚彦社長が辞任するという。詳しい概要はわからないが、企業価値を既存する疑い、委託先の会社や取引先に星崎社長の影響下にあり、あきらかにされていませんが、不正なことを行っていたようである。金額次第では業務上横領の可能性もある。

星崎社長は、創業者一族を排除して、赤字に陥っていたメガネスーパーをV字回復させる。外部招集のプロ社長だったが、どうも怪しい感じが漂いだしています。体質的に創業家のときから、かなり放漫経営でしられています。

  • ブルームバーグ 2023年3月7日:「メガネスーパー」を展開するビジョナリーホールディングスは7日、同日付で星﨑尚彦社長が辞任したと発表した。同氏による企業価値を毀損(きそん)する行為の疑いがあり、第三者委員会を設置して調査する。調査に時間を要するため、17日に予定していた2023年4月期第3四半期決算の発表を延期する。

    22年12月下旬に情報提供があり、監査等委員が選定した外部専門家が調査を進めてきた。その結果、同社の業務委託先や取引先が星崎氏の実質的影響力の下に経営されているといった可能性や、同社グループの利益に反する可能性のある行為が認識されたという。

    社外取締役の松本大輔氏が後任の社長に就任する。星﨑氏はグループ各社の全ての役職から離れる予定。

星﨑尚彦

1966年生まれ。 早稲田大学法学部卒業後、三井物産に入社。 主に繊維事業、ファッション事業に携わった後、スイスIMDビジネススクールへ留学。 MBA取得後の2000年、スイスの宝飾メーカー「フラー・ジャコー」日本法人の経営者に就任、短期間で同社業績の飛躍的向上に成功。

その後、婦人靴で名高いイタリアの皮革製品メーカー「ブルーノマリ」や、米国のスノーボード用品ブランド「バートン」で日本法人の経営者を務め、2012年にアドバンテッジパートナーズからの要請により、アパレルメーカー「クレッジ」の経営再建を担い、1年半でV字回復を達成。

2013年6月、メガネスーパーの再建を任され、2016年に同社の9年ぶりの黒字化を果たす。2017年11月には株式会社ビジョナリーホールディングスの代表取締役社長に就任。アイケアの啓発・普及を旗印に、先進アイケアサービス・店舗の拡大や積極的なM&Aといった成長戦略を加速させ、2019年には黒字化以降4期連続の黒字を実現。

8年連続赤字、3度の債務超過、倒産寸前だったが、3年で黒字転換を果たす。

メガネスーパーは、ハイブランドの名前だけのフレームを高額で販売し、価値があるようなことをしていました。眼鏡にブランドの名前なんて必要ありません。JINS、Zoffと言った低価格で、一律料金のストアに侵食をされ、あきらかに負けだします。

Zoffならメガネスーパーの予算で、何本も購入でき、日替わりの「アイウェア」をコンセプト、気分や日によって眼鏡を変える商品提案に太刀打ちできません。品質やアフターケアに違いがあるなら勝負になりますが、名前だけのハイブランドの商品は、むしろ品質的に劣っていました。

星崎社長が就任して、行ったことは、

客単価落ち込みの原因となった価格競争路線から脱し、検眼やフィッティング、アフターサービスなどを充実させた「アイケアカンパニー」を2014年6月に宣言(同時にCI導入)して、低価格店との差別化を図った

「低価格路線」から「顧客のニーズを丁寧に聞き取るスタイル」へ方向転換したことが功を奏し、見事に業績を回復させました。「目の健康寿命の延伸」を掲げ、最大40項目もの検査ができるというきめ細かな接客が好評で、40歳以上の中高年に人気があります。

たしかに効果はありましたが、本来、眼科医が行うこと有料で行い「眼科医よりも詳細な視力検査」という広告は、摩擦を生みます。マッサージ付きのプレミアム検査というコースまであります。

ビジネスモデルの転換ではなく、社員の意識改革をおこなった。毎週月曜日に10時間超にも及ぶ全部門横断の「アクション会議」や、有志を募って全国の店舗をめぐり改善活動をするキャラバン隊、通称「ホシキャラバン」。成功体験を超速で伝播させることと、現場スタッフとの距離感をなくすことを狙いとしています。

転職サイトのコメントでよく見られますが、労働環境は最悪レベルといいます。コミュニュケーション目的の会議が長時間あり、日本企業にありがちな曖昧な決定が、いらぬ仕事を大量に増やし、下のものへ丸投げされます。休みも取れない圧力があるそうです。

本来潰れる会社でしたから、従業員が黒字化するまで、頑張るのは理解できますが、それを社長の個人的な懐を肥やしていたとすると・・・創業家・田中家は趣味が講じて、プロレス団体を運営したり、競馬馬をたくさん所有していました。

田中八郎氏、田中由子氏の自宅は神奈川県小田原市の豪邸。

創業・田中家

1973年に田中八郎が前身となる有限会社ニュー湘南眼鏡として神奈川県小田原市で、また1976年に埼玉県さいたま市で有限会社メガネスーパーをそれぞれ創業。1980年にニュー湘南眼鏡を存続会社として株式会社メガネスーパーと改組。

以来、全国主要都市にメガネ・コンタクトレンズを中心に、補聴器、化粧品、健康食品、プチシルマなどの販売チェーン店を展開する他している。2004年3月にJASDAQ市場に株式上場。2007年のピーク時には540店舗、380億円の売り上げを挙げていた。

 

天竜ひきいるプロレス団体を立ち上げるが崩壊。

かつてはプロレス界に対し、深い関わりをもっていた時期がある。1990年に自らプロレス団体SWSを主宰していたほか、第2次UWFや藤原組のスポンサーでもあった。

創業者は、SWSを「金権プロレス」と批判した元週刊プロレス編集長・山本隆司(ターザン山本)に対し、バッシングを行わないことと引き替えに「税金のかからない形」で、月50万円を一年間に渡り支払っていた。

女子プロレス団体LLPWの設立にスポンサーとして関わっていたが、田中社長(当時)の妻の反対により、旗揚げ前に撤退している。その後長らく格闘技とは関わりを断っていたが、2015年の天龍源一郎引退興行でリングスポンサーに広告を出している。

また、創業者夫妻は競走馬の馬主としても知られている。代表的な所有馬に2012年のエリザベス女王杯(GI)で優勝したレインボーダリアがいる。他の著名な所有馬には1994年のきさらぎ賞(GIII)で優勝したサムソンビッグがいる。

しかし同馬はその後皐月賞17着・東京優駿(日本ダービー)18着・菊花賞15着と振るわず、「準・裏三冠馬」という不名誉な通り名で呼ばれることもあったが、実は1994年の牡馬三冠に全て出走したのは三冠馬ナリタブライアンを除けばこの馬だけである。

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