リンダ・カサビアン「マンソンを裏切った女」

人物

リンダ・カサビアンは1970年のマンソン・ファミリーによる殺人事件の裁判で重要な証言をしたことで知られている。

カルト教団の指導者チャールズ・マンソンの信奉者で、カサビアンのバンド名の由来ともなったリンダ・カサビアンが亡くなった。享年73歳でした。死因などは公表されていません。

当時20歳だった彼女は1969年8月9日にマンソン・ファミリーのメンバーが妊娠していた女優のシャロン・テートと他3人を殺害する間、シャロン・テートが借りていたロサンゼルスの自宅の外で待つ役割を担っていた。

翌日の夜にマンソン・ファミリーがスーパーマーケットの取締役であるラビアンカ夫妻を自宅で殺害する際にも同行している。彼女は直接殺人には関与していないが、逃走用の運転手の役割を務めていた。

リンダ・カサビアンはチャールズ・マンソンと4人のメンバーにとって不利な証言を行ったことで訴追免除されており、全員有罪となっている。

1960年代後半、米サンフランシスコでは、ドラック、セックス、ベトナム戦争の反対などのヒッピー文化に浸っていました。その中で、チャールズ・マンソンはグループを形成していき、その中でカルト教団の指導者となります。

チャールズ・マンソンは、ヒッピーからカルト教団の指導者となり、連続殺人を行った人物。自分の手は汚さず、信者に実行させ、最後まで獄中で無罪を訴え、反省することはなかった。

サイエントロジーの分派「最後の審判プロセス教会」を拠り所としていた。「最後の審判プロセス教会」はヒトラーを崇拝し、最後の審判において自分たちが選民として役割を果たすと信じていた。

エリック・バーンの交流分析や、火星人の教育を受けた主人公が新宗教を開くが地球人に殺されるというストーリーのSF小説『異星の客(ハイライン)』に影響を受ける。さらにカルマ思想やヒンドゥー教の左派から、いろんな宗教の表面的な部分を都合よく、ごちゃまぜにして利用しています。

この時代、過激な黒人解放運動をしていたブラックムスリムやブラックパンサー党との人種間戦争が起きると確信して、白人を全滅させる自分はその救世主となるという。人種間戦争を「ヘルタースケルター」と呼び、これもビートルズの楽曲から。楽曲を勝手に解釈して、ハルマゲドン革命と救世主マンソンが表されていると解釈している。

1969年7月、2万ドルの遺産を隠しているという噂があったゲイリー・ヒンマンという麻薬の売人で音楽教師の自宅に訪れた。金が見つからなかったためマンソンの命令で、ヒンマンをナイフで刺殺。

ヒンマンの血で壁に「政治豚(Political Pig)」と書きなぐり、黒人解放組織ブラックパンサー党の仕業に仕立て上げた。黒人の隠語でPig ピッグ(豚)は「白人」を意味した。白人の麻薬の売人が黒人に殺されることによって、人種間戦争が始まると思っていた。

仲間たちが、車両窃盗やクレジットカードの不正利用で捕まりだし、追い詰められていく。危機感を持ったマンソンはさらなる殺人事件を実効する。

テート・ラビアンカ殺人事件がおこる。1969年8月9日、ロマン・ポランスキーの妻で当時妊娠8ヶ月だった女優のシャロン・テートと、元婚約者で世界的なヘア・スタイリストのジェイ・セブリング、夫ポランスキーの親友ヴォイテック・フライコウスキー、その恋人でコーヒー財閥の相続人アビゲイル・フォルジャーが自宅で惨殺され、数日後、同じ手口でスーパーマーケットチェーンのオーナーだったラビアンカ夫妻が殺された。

警察は、マンソン・ファミリーの犯行とは思わず、車両窃盗やクレカ不正利用で捕まえた仲間を釈放している。しかし、女優のシャロン・テートを手に掛けたの実行犯が軽犯罪で拘束中に、自慢をしていたため密告されて、芋づる式に捕まる。

首謀者のマンソンは、殺人を指示したことを認めず自分に心酔したメンバーが勝手に暴発しただけだと主張する。死刑が違憲とされたため、死ぬまで刑務所で過ごすことになる。2017年11月19日にカリフォルニア州ベーカーズフィールドの病院にて急性心筋梗塞で死去。83歳没。「悪の象徴」として、サブカルチャーに影響与え付け、白人至上主義者からは崇拝を集めている。

リンダ・カサビアンは司法取引により収監されることなく、自由を謳歌してコンサートなどに出演していた。

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