川崎協同病院 桜本の赤系病院 過去に安楽死事件も

治療

悪性リンパ腫を患っています。診断にたどり着くまで時間がかかりました。症状が緩やかに出ているいますが、血液検査ではリンパ腫と判断される数値がなかったことから、仕方がないことではありますが、モヤモヤした日々が続きました。

病院をさまよう時期に、行った病院の一つです。

川崎市川崎区にある川崎協同病院。過去に大きな事件があった病院ですし、桜本の中心にある病院です。朝鮮系の人たちの街です。商店街はかつての賑わいはなくしていますが、焼肉屋とパチンコ店がわずかに生き残っています。

共産党系の病院として知られ、働いている人も(8割?)ほぼ共産党員と言われます。常に自民党系の人たちと政治的いざこざを抱えているといわれ、ちょっとした問題で揉め事に発展します。

病院側も共産党も、関係を否定していますが、病院出身の共産党市会議員が2人輩出、病院の運営母体は「川崎医療生協」で「全日本民医連」傘下にある。民医連は、民商、建設労働連合会と並び「共産党御三家」と称され、ひとたび選挙となれば病院職員、看護婦は集票マシンと活動する。

この病院は今から20年以上前に大問題を起こしたことで知られています。

川崎協同病院事件もしくは安楽死事件として記憶されています。医師が患者の気管内チューブを抜管後に筋弛緩剤を投与して死亡させたとして殺人罪に問われた事件。尊厳死・安楽死の問題、延命治療や終末期医療とインフォームド・コンセントのあり方が問われた事件。

患者が喘息発作を起こしていったん心肺停止状態になり、同病院に搬送され昏睡状態のまま入院となった。11月16日に担当医師が気道を確保していたチューブを外した後、患者がのけぞり苦しそうな呼吸を始めたため、准看護師に指示して筋弛緩剤を注射し、患者はまもなく死亡した。

  • 1998年11月2日に当時58歳の男性患者が、気管支喘息重積発作から心肺停止へ陥り川崎協同病院へ搬送される。患者は1984年に川崎ぜんそくの公害病認定を受けており、病院到着後の一次救命処置により心臓の拍動に再開を認めるも低酸素脳症から意識障害は回復せず、人工呼吸器を処置され入院する。自発の呼吸再開を認めて11月6日に人工呼吸器を外すも、気管内チューブは留置する。

    11月11日に医師が抜管すると呼吸状態に悪化を認めて窒息の恐れから再度挿管する。この間に医師は「患者は9割9分9厘植物状態になり、9割9分9厘脳死状態である」と説明し、家族は患者の気管内チューブ抜去に同意したとされる。

    11月16日に患者の妻子と孫が集まる病室で、医師は当該行為で患者が死亡することを認識のうえで、気道確保のために患者気管内へ経鼻的に挿管されたチューブを抜去する。

    患者は予想に反して身体をのけぞらすなど苦悶様呼吸を始め、医師は鎮静剤セルシンやドルミカムを静脈注射するも鎮められず、同僚医師へ助言を求める。

    その示唆に基づき筋弛緩剤ミオブロックを集中治療室から取り寄せ、3アンプルを看護師に静脈注射させる。注射後の数分で呼吸が、11分後に心臓の拍動がそれぞれ停止して患者は死亡する。本件は翌日に院長へ報告され、院長は当該医師から事情を聴取して本人に反省を促すも処分せず管理会議へ報告していない。

    2002年4月、同病院が経緯を公表し、同年12月、医師は殺人容疑で逮捕・起訴され、2009年に有罪判決が確定した。

亡くなられた人は、小さな町工場の経営者で、金属の加工などで細かい粒子で肺を病んでいたといいます。1998年ですから、工場や車からの公害はすでに改善されています。

1950-1970年代から川崎区に住んでいたとする堆積する形で影響があったかも知れませんが、1990年代から公害の影響で喘息になる人はいなかったと思います。父の話では、1970年代はバイクに乗ってちょっと産業道路を走るだけで、顔がすすで真っ黒になるくらいの酷さでした。

私の通っていた小学校も早くから、エアコンが完備され、夏は窓を開けないようにしていましたが、光化学スモッグ警報が出るのは、数日です。羽田空港に向かう飛行機の騒音がひどかった時期があったので、そっちのほうが問題でした。ただ、それも沖合に新滑走路ができて解消されました。

この病院は経済的に苦しい人は、無料診療が受けられるため生活保護世帯や老人がおもな利用者です。

私が利用したのは、隣接する新しい病棟です。コロナ前でしたが、長時間待たされました。内科と眼科の診療で朝から夕方まで、ほぼ待ち時間です。

眼科の女性医師は親切に見てくれましたが、結果はわかりません。内科の太った男性医師は私の顔をいっさい見ずに、パソコンの画面を見ながら「どこも異常がありません」と一言です。明らかに目の辺りから首にかけて腫れの症状が出ていましたが、いっさい見ることがありませんでした。

頭にきて、態度に出ていたのを察したのか、ベテランの看護婦さんが数値上の説明をしてくれて、さらに悪化したら場合、緊急の場合の説明をしてくれましたが、色々病院にはかかりましたが、最悪レベルの医者であることは間違いありません。8800円の診療代、捨てたようなものです。

内科の医者はともかく、採血や検査は看護師さんがしますが、そのへんのレベルは相当高いかも知れません。採血の上手い下手は人によりますが、バロメーターにはなるとは思います。

後から考えると、リンパ腫は血液検査の数値がはっきりでないと診療がつかないようで、「わからん」というのが正解のようです。ただこの時は「血液のがん」何て欠片も思っていません。もうちょっとあるでしょ!というが本音です。

はっきりとリンパ腫と血液検査で数値上わかったのは、この川崎協同病院から診察から半年以上経過していました。視界が遮られるくらいの目の周りが腫れ上がり、口の周りも会話が困難になるくらい腫れ上がります。その時点でステージ3の末梢性t細胞リンパ腫です。

あまりステージは関係ない病気のようですが、早期発見は無理のようです。川崎市立病院で診断がついても、すぐには治療が始まらなかったし、変な病気です。

 

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