後藤忠政 組を追われ、カンボジアに渡った男

人物

山口組の武闘派暴力団として名を馳せ、経済ヤクザとしても活動。創価学会の用心棒としても暗躍したともいわている。1992年には映画監督の伊丹十三襲撃事件を起こす、目立つ暴力でした。

現在主流の名古屋と関係悪かったといいます。アメリカで肝臓移植を受ける見返りとして、山口組弘道会の口座情報を捜査機関に教えたともいわれ、54億円の資金が凍結されています。芸能人との派手な付合いが引き金になったが、名古屋との関係悪化が原因で除籍につながったとも囁かれています。

後藤 忠政(ごとう ただまさ、1942年9月16日 – )指定暴力団・山口組の幹部構成員として活動し、2008年に引退後、カンボジアで実業家に転身。日本航空(JAL)の個人筆頭株主でもあった。

1942年、東京に4人兄弟の末っ子として出生。祖父は富士川発電や伊豆箱根鉄道を興した実業家の後藤幸太郎であった。戦争の激化により、2歳の時に父の実家がある静岡県富士宮市に疎開して以降、同地で育った。後藤家は没落しており、小学生時代の忠政は納豆売りをして学習用ノートを買うなど、貧しい生活を送った。

地元の富士宮を拠点に愚連隊として活動後、17歳で正式にヤクザとなる。20歳で松葉会系組織に移籍し、トラブルを抱えていた稲川会系組員を日本刀で襲撃。殺人未遂容疑で起訴され、2年10ヶ月の月日を甲府刑務所で過ごす。

出所時の1965年、警察当局の第一次頂上作戦による影響で、全国的に暴力団組織が壊滅・弱体化していた時期であるが、後藤はその情勢下で勢力を保ち続けた山口組傘下川内組に移籍する。

1969年、富士宮市で川内組内に後藤組を設立する。上部団体の川内組は、山口組菅谷組の傘下であり組長の川内弘は菅谷組舎弟を務めていた。1977年に川内が殺害され、川内組が実質的に壊滅すると、後藤は浜松市を拠点とする山口組傘下伊堂組(組長・伊堂敏雄)に舎弟として移籍した。

1984年7月、竹中正久を組長とする四代目山口組が発足すると伊堂は引退し、後藤が山口組の直参へ昇格、後藤組も内部昇格の形で山口組の二次団体となった。

後藤は武闘派として、1984年に勃発した一和会との山一抗争で積極的に働いた。 渡辺芳則を組長とする五代目山口組の東京進出に際しては、その先駆けとなって勢力の拡大に寄与した。

1992年には後藤組組員5人が、暴力団を描いた映画『ミンボーの女』の監督伊丹十三を襲撃した。

2002年7月、山口組若頭補佐に就任し、これにより後藤は山口組執行部の一員となる。その後、六代目山口組が発足した2005年7月に舎弟に直った。

2008年10月、後藤の9月の誕生日を祝って開かれたゴルフコンペに細川たかし、小林旭、角川博、松原のぶえ、中条きよし、須之内美帆子、益子梨恵らが参加していたことが報じられた。 これを受けNHKが細川、小林、角川、松原、中条の5人(残りの2名はNHK出演はない)の番組への出演を数ヶ月間見合わせた。また、山口組執行部も事態を重く捉え、病気を理由に本部の定例会を欠席しながら祝宴を開いたとして後藤を除籍した。これを機に後藤はヤクザを引退した。

公安警察のノートパソコンから数人のグラビアアイドルやレースクィーンの名前が取り沙汰された事がありました。「情婦」と話題になりましたが、後藤組をなんとかしたい警察のリーク。

菱和クリエイト事件「山口組系後藤組長逮捕」結果は無罪。後藤組長を警察が狙った事件。

2006年5月、東京都渋谷区のビルをめぐり不正な登記をしたとして、警視庁組織犯罪対策4課は、電磁的公正証書原本不実記録・同供用容疑で指定暴力団山口組系後藤組組長の後藤忠正容疑者(63)東証2部上場のマンション販売「菱和ライフクリエイト」社長西岡進容疑者(52)ら10人を逮捕した。同ビルをめぐっては暴力団が関与するトラブルが相次ぎ、今年3月にはこのビルの不法占拠者対策を担当していた不動産会社顧問の野崎和興さんが殺害される事件が起きており、同課が関連を調べる。

西岡進 菱和ライフクリエイトというワルームマンション大手で2部上場企業

後藤容疑者は容疑を否認。西岡容疑者は「よく分かりません」と供述しているという。ほかに逮捕されたのは菱和ライフクリエイト社員2人、同関連会社役員と、後藤組関連企業の元社長で後藤容疑者の長男正人容疑者(36)菱和ライフクリエイトの西岡進は、菊川怜や青田典子を愛人にしていた。といわれる。

この会社と関係のあった有名人の方々
取締役には、世界的建築家の黒川記章(女優・若尾文子が夫人)、監査役には藤島元最高裁判事らがいる。CMへ登場していた菊川怜。あちこちで食事をしていたところを目撃されている。また、西岡社長の去年のイタリア出張に際しては、旅先で同じホテルに宿泊。明治座での座長公演では、まるで夫婦のように来客へ挨拶をしていた。 菊川の前は青田。ちなみにみんな朝鮮系。公安のお墨付きである。一般的に壬申戸籍は誰にも取れないと思っているようだが違う。ひとつだけ、毛唐ルートでの照会の場合はあっさり公表する。

流れが変わったのは、1990年代の終わりに海外の投資資金が入ってきてからだろう。その後、不動産ファンドやJリートに代表される不動産証券化という新しいビジネススタイルがでてきたことによって、2000年前後から市況が上向き、2007年頃まで比較的好調に推移するようになった。

米大手証券会社のリーマン・ブラザーズが経営破綻した「リーマンショック」で世界的な金融不安が広がり、日本の金融機関の不動産業向けの融資額も大きく縮小。現在の不動産市況はかつてないほど、悪化している。大きく影響が出始めたのは、2009年頃。同年の春にパシフィック・ホールディングス、エスグラントコーポレーション、中央コーポレーション、アゼル、ライフステージといった新興系を中心に上場企業の連鎖倒産が始まった。

すべてはここから。では、どうしてこうした大型倒産が連鎖するようになったのか?

1つに菱和ライフクリエイト事件もあると考える。菱和ライフクリエイトという企業が存在した。菱和ライフクリエイトならびに社長の西岡進氏は、業界においては本当の意味でのパイオニアであり、新興企業にも市場を切り拓いた。簡単に言えば、稚拙だったワンルームマンションを、高級志向やデザイナーズ型にさせ、市場開拓を図ったのが、西岡進氏である。

その結果、国内での不動産投資も活発化され、市場が大きくなった。さらに大きくなっただけでなく、顧客満足度も向上した。同じワンルームマンションでも、古びたものよりも新築且つ洗練されたデザインを好む事は、若者だけではなく投資家となる人たちも同じである。当然、入居率は高まり、入居した客も満足度が大きくなり、良い意味での相乗効果を生みだしたのだ。

菱和ライフクリエイトの社長である西岡進氏が2006年5月に電磁的公正証書原本不実記録と同供用の疑いで逮捕されたのだ。内容は、2005年2月、渋谷区代々木のビルをめぐり、ビル管理会社から都内の仲介業者を介し、菱和ライフクリエイトに不正に所有権が移転したことを知りながら、東京法務局渋谷出張所に虚偽の登記申請をするなどして、後藤組組長が実質的に経営する後藤組のフロント企業に所有権を移した疑いである。

しかし、この事件の裁判は、何かがおかしかった。まず第一に、傍聴席にはなぜか警察が占拠するように座っていた。この事については、誰もが不思議に思わざるを得ない。「外に漏れてはいけない事や不都合があるのではないか?」と。警察側の主張は完全に“状況証拠”だけなのだ。

警察側は、期限ギリギリの20日間の勾留を行ったにも関わらず、何も証拠が出ない。当然ながら、司法の場(裁判所)は“検察は起訴しない事例である”と西岡進氏に無罪判決を下す。勇み足だった警察と検察は、なんと一審無罪に対して控訴できないのだ。不動産業界のパイオニアであり、上場企業の社長である人間を起訴し、控訴できないなんて聞いたこともない。

この事から推察できることは、後藤組長を逮捕したいがために、警察と検察は勇み足で逮捕に踏み切ったのだ。それ以外に考えられない。特にこの場合は、警察が検察に対し、強引に起訴を促したのだろう。

実際に会ってみても、まぁクセのある人間である。先駆者たる者の宿命なのか否か知らないが、良く言えば熱血、悪く言えば頑固と言えるその性格が、周囲に反感を与えることも少なくはなかっただろう。女性スキャンダルも表向きにはそこまで出てはいないが、まぁかなりの好き物らしい。

その辺りも含め、妬んでいる者や逆恨みしている者もいただろう。事件に関しては記載の通りではあるが、実生活に関して、人間性に関しては、好きか嫌いかと言われれば、微妙なラインである。

実は、バブル崩壊後の長かった不動産不況下でも、今回のような不動産会社の倒産ラッシュは起きなかった。バブル崩壊後は本来なら倒産してもおかしくない会社を銀行が必死になって救済したからだ。しかし、今は救済してくれる銀行はない。黒字会社ですら、少しでも資金返済に窮したら問答無用で切り捨てられる。そう、不動産市況がバブル崩壊後以上に厳しいのだ。

バブル崩壊後と違って、多くの産業が低迷し、雇用不安や消費の低迷などにより、オフィスビルや商業施設、物流施設などのテナント需要に大きな影響が出た。経済がグローバル化したことで、国内の事情だけでは見通せない新たなリスクも生まれている。さらに日本の人口減少問題。これらの積み重ねで、住宅を新しく購入する需要の絶対量は明らかに減ったのだ。こうした景気動向や社会構造の変化などによって、不動産業は大きく転換せざるを得ない状況にあるのだ。

西岡氏と後藤組の結びつきは強かったのは知られている。

菱和ライフクリエイトに雀茂珍こと小早川茂と恩田葉一郎(恩田将葉)が旧柳川組を名乗る人物と乗り込んで恐喝行為を働いた。 そこで当然ながら、後藤組良知政志若頭らが“うちの守っているところに、何ちょっかいを出しているんや!”となった。 その間に、企業舎弟の石神隆夫が仲介に入った。 そして、両者は株主総会後、“手打ち”した。

投資用ワンルームマンション投資では業界首位だった「菱和ライフは“事件」による風評被害により上場廃止に。無実の罪を着せられ、人生の結晶である会社まで奪われた西岡氏。同情したいところであるが、後藤組と結びつきが強かったのは間違いない。確認は取れないが、暴力団の影響力でちらつかせて、拡大した部分も想像できる。

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