毛皮市場のナンバーワン企業だったジャパンエンバ。二度目の倒産で完全消滅。
ジャパンエンバは2022年12月8日に神戸地裁に自己破産を申請し、12月14日に破産手続き開始決定命令した。
バブル期によくCMをしていた記憶があるくらいです。今まで存在していたほうが、びっくりする。ただバブル崩壊時に民事再生している企業です。今回は自己破産なので、完全消滅になる。いまどき毛皮着て歩いていたら、動物保護団体から攻撃を受けるだろうし、許されるのは、デビィ夫人くらいではないのでしょうか。
バブル最盛期も、銀座のホステスが羽織るイメージですから、そんなに一般的でありません。うちの母親も数点か持っていましたから、それなりの需要があったと思います。ディナーショ-とか流行っていたから、そんなときくらいに着て出かけていたのかな?
北海道には、ミンクの養殖場が作られていました。バブル絶頂期の1990年頃には、日本の毛皮市場は3000億円と思われます。意外なことに現在でも600億円程度の市場が残っています。
植野藤次郎さん創業の「エンバ」という会社が、トップ企業でした。「毛皮のエンバ」の看板で全国に40点ほどの店舗を構えていました。頻繁にCMを打っていたので、知名度は高かったと思います。
百貨店の出店はなく、SPA(製造小売)を毛皮業界に導入したといえます。1993年3月期には年間売上高約124億円を計上。3000億円の毛皮小売市場の約4%と占めていたことになります。国内の毛皮業者による日本原毛皮協会には加盟せず、独自の生産・小売業態でのビジネスを行って拡大していきました。1988年には毛皮のレンタルビジネスを開始しています。
2000年には年商は95億9000万円に落ち込み、2001年には負債174億円を抱え神戸地裁へ民事再生法の適用申請。以後は所有不動産の売却など再生計画を進め、2005年8月には再生手続き終結になっていた。
しかし、毛皮需要は回復せず、さらに2020年からのコロナ禍によってトドメを刺されたようだ。負債は7億円と推定される。さらに関連会社のアイファーの負債が4億円あった。
エンバと植野藤次郎の名前が残された美術館が2つあります。
兵庫県丹波市を流れる加古川を望む地に建築された丹波地方の中核美術館である。1994年に氷上町立の美術館として開館し、合併により新設された丹波市が当施設を継承した。
総花崗岩積の美術館施設は財団法人植野アジア芸術文化振興財団から、そして収蔵美術品の基礎は実業家・植野藤次郎・個人のコレクションから、氷上町に寄付されたもの。
美術館に植野という人名が入っている。これは植野藤次郎氏のことで、この美術館の相当分を寄付されている。とても氷上町だけでこれだけ立派な美術館の建設並びにコレクションを、予算の捻出・企画・進行することは難しい。そこには強力なスポンサーが付かないことには全て不可能なことである。
兵庫県芦屋市奥池町にある美術館。設立は1980年で、実業家・植野藤次郎のコレクションが館収蔵品の基礎となっている。収蔵品は近現代の中国景徳鎮などの陶磁器・刺繍・絵画・工芸品が中心にその数10,000点以上で、特に清代の刺繍3000点のコレクションは、中国国外では最大の収蔵規模である。
美術館の建物は植野家の旧大邸宅を使用しており、六甲山地の中、瀬戸内海国立公園の区域にある。敷地内にある「奥池倶楽部」には、陶芸教室、テニスコートなどの施設がある。
ジャパンエンバは、1968年3月に植野毛皮の商号で設立、同年8月に現商号へ変更した。毛皮製品の製造販売を手がけ、製造部門では原材料の仕入れから縫製加工を行い、国内グループ各社に加え、中国に設立した合弁会社のほか、海外に設けた生産拠点でも展開していました。
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