優生学は、英国のフランシス・ゴルトンによって提唱されました。
進化論で有名なチャールズ・ダーウィンの母方の従兄弟となる。ダーウィンは、進化の要因として「自然淘汰説」を樹立したことで知られていますが、優生学の創始者とされるのはゴルトンです。
ゴルトンは1883年に「優生学(Eugenics)」を命名し、人種の生来の資質を向上させることを目的とした学問として提唱しました。
優生学は、当時の社会意識に合致し、科学理論や科学技術が肯定的に受け入れられていたこともあって、各国に瞬く間に広がりました。
しかし、優生学を曲解した後継者たちが「優生思想」を生み出し、ナチスの反ユダヤ思想とつながり「ホロコースト」という悲劇を生み出すことにもなりました。
フランシス・ゴルトン(Sir Francis Galton、1822年2月16日 – 1911年1月17日)は、イギリスの人類学者、統計学者、探検家、初期の遺伝学者である。
色んなことをしている富裕層アマチュア科学者 (gentleman scientist) で、気象学の研究では、天気図を作成した最初の人物となった。
他にも指紋による人物識別の先駆的研究、人間に聞こえない音を出す犬笛の発明など、多数の分野に業績を残した。「暗黒大陸」と呼ばれたアフリカ大陸に初期に訪れた白人でもあります。
優生学に関しては、遺伝の研究を行うなかで、統計学の相関や回帰の概念を発展させた。双子の研究により遺伝と環境を分離する試みをし、行動遺伝学の先駆けとなった。また近代的な優生学の創始者である。
1859年、いとこのチャールズ・ダーウィンが、『種の起源』を出版したことに刺激を受け、遺伝の問題の研究を開始。
彼の家系はウェジウッド家、ダーウィン家、バトラー家と並ぶ名門、名声を得る家族は一般に才能があることを明らかにしようとした。
この人は英国の上流階級、下層階級への支援は否定的な人物、遺伝学の研究も支配階級の優秀さを買めするところから始まっている。
1869年『遺伝的天才 その法則および帰結』を出版した。天才は遺伝する、才能がある親からは才能ある子供が生まれる、と言う内容のもの。
一般の人の4000人につき1人しか見られないような、優秀な人物415名ならびにその肉親977名を選び出して、その遺伝関係を調べた。
知名人の子は普通一般の人の子に比して、優秀な者になり得た率が、約200倍も高く、また有名人の父が、また有名人である割合は、普通の場合に比して、120倍も高いことが分かった。
知名人の子に知名人が多く出るのは、門閥や縁固等の有利な結果であるよりも、むしろ遺伝関係が重きをなさなければならない、とゴルトンは結論した。
「優生学」の背景には、経済学者マルサスの1798年に出版された『人口論』がある。
この中で「幾何級数的に増加する人口と算術級数的に増加する食糧の差により人口過剰、すなわち貧困が発生する。これは必然であり、社会制度の改良では回避され得ない」とする「マルサスの罠」を提唱した。
優生学とはこれを否定するためのもの。
ゴルトンは「生存に適していない」(unfit) 人間が生まれてこないようにする消極的優生学よりも、より適した人間を増やそうという積極的優生学の方向性です。そのため上流階級同士の結婚を奨励する。
ようは、生存に適していない人間は、自滅もしくは自然衰退する、よって劣った人間たちを抑圧する必要ないというもの。むしろ、よりよい血統を維持する方法を模索するほうが懸命だと。
遺伝研究において、統計学的方法を導入し「平均回帰」と呼ばれる現象を発見、相関を表す数値を「相関係数」と名付けている。
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