学生時代、見かけたことがある人でした。亡くなっていたんですね。
神奈川県立港北高等学校、上智大学経済学部経営学科卒業後、伊勢丹に入社。ブランディング、ショッププロデュースなどの実績から、カリスマバイヤーとして注目される。
伊勢丹では「バーニーズ・ジャパン」「解放区」「リ・スタイル」の事業やブランドの立ち上げを担当。独立後はアパレル会社などを経て、2003年に福助代表取締役社長に就任。約1年半で経営再建に成功する。
2005年からはセブンアンドアイ生活デザイン研究所代表取締役社長、イトーヨーカ堂取締役執行役員衣料事業部長、セブン&アイ出版取締役を兼任し同社衣料部門の立て直しに取組む。まず着手したビジュアル・マーチャンダイジング注力による「買いやすい店」への改革で結果を出すが、続く新ブランドの展開では目標の売上げに達せず、体調を崩したこともあり、いずれも2008年までに退任した。
その後はフジマキ・ジャパン副社長、藤巻兄弟社社長、シカタ代表取締役プロデューサー、テトラスター社長、トランジットジェネラルオフィス特別顧問、ビーバイイー社外取締役、新世界百貨店(韓国)顧問、アズウェーブ顧問等を兼任。また、株式会社caramoにより運営されるWebサイト「藤巻百貨店」のプロデュースを行なった。
教育分野の活動もあり、明治大学研究・知財戦略機構特任教授、昭和女子大学生活科学部客員教授、アカデミーヒルズ「日本元気塾」講師や各種講演会の講師、また、日本流行色協会「レディースカラー」選定委員等の審査員を務める。著作の執筆、新聞・雑誌の記事連載やコメンテーターとしてのテレビ番組出演等、マスコミにも多く登場した。
2010年7月にはみんなの党から第22回参議院議員通常選挙に出馬、落選するが、比例当選者が第46回衆議院議員総選挙に立候補して自動失職したことから2012年12月に参議院議員へ繰り上げ当選。参議院では国土交通委員会委員となり、ビジットジャパンの施策や日本の「デザイン戦略」を提唱、「クールジャパン」を売り込む活動にも関わった。2013年12月に江田憲司らと共に結いの党結党に参加するが、直後にすい炎を患い入院。
2014年3月15日、東京都内の病院で大動脈破裂のため死去。54歳没。
藤巻健史
1950年6月3日 – 日本の債券・為替・株式トレーダー、経済評論家、政治家。株式会社フジマキ・ジャパン代表取締役、東洋学園大学理事。モルガン銀行(現JPモルガン・チェース銀行)東京支店長兼日本代表、ジョージ・ソロスのアドバイザーを務める。参議院もしていました。
たくさん本が出版されています。最近は1ドル=500円とけっこう過激な経済発信をしています。
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