田村順子「クラブ順子」銀座で最も有名なママ。

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銀座で最も有名なママ。クラブ順子の経営者。

でもデヴィ夫人によると、どぶ臭いすえた匂いのするクラブのママだそうです(笑)。業界では、北朝鮮情報の三大女傑「文明子・片岡都美・田村順子」の一人と言われている。森前首相ともかなりの仲だったとか。産経新聞(東京)編集委員の清水満などとつながりが深いと噂されている。

政治家、経営者、文豪、芸能人にスポーツ選手ー銀座の老舗「クラブ順子」には、各界の超大物が毎晩のように訪れた。1966年、24歳で“最年少ママ”として華々しくデビューした田村順子さん。

あまたのお客をもてなしてわかったことは、男性は名が高いほど無口で、態度や目線から要望を汲み取れるかが勝負だということだ。

「安倍(晋三)さんはお酒をまったく飲まれないの。で、『PUPU』のアイスクリームをいつもお出ししていて。気に入ってくださったのか、(ご自分の)誕生会を4回もここで開かれたのよ」

政界では安倍首相のほかに、小泉純一郎氏や森喜朗氏、そしていま政局の中心にいるあの人も来店していた。「私たちが守ってきた銀座の灯りは消えません」(週刊FLASH 2017年7月25日号)


ビートルズの夜の接待要員に!? 銀座の重要文化財「クラブ順子」ママの“激モテ伝説” 2017/07/14

東京・銀座の数奇屋通りにあるビルの地下1階に1966年、13坪の小さなクラブがオープンした。店の名は「クラブ順子」。当時24歳の田村順子は“銀座最年少ママ”と話題を集め、その後、店は政財界や芸能・スポーツ界の大物が集うサロンとして半世紀の歴史を刻んできた。

日本の高度経済成長時代からクラブ経営を手がけてきた順子ママは、誰もが認める“銀座のレジェンド”であるが、その半生はミステリアスなヴェールに包まれている。

昭和の銀座を知る長老たちは、こう口をそろえる。

「1960年代の前半から、“ジュンコ”の名は有名だった。当時、銀座のなかでも最高の女が揃っていると評判だった山口洋子ママのクラブ『姫』の若きエースとして、多くのファンを抱えていた。あどけなさのなかに、男を狂わせる魔性の魅力があったんだね」

若かりし日の山口洋子さん

五木ひろしの代表歌『よこはま・たそがれ』の作詞でも知られる山口洋子さんは、1956年に19歳の若さで「姫」を開業。持ち前の気配りと話術で、同店を銀座でも指折りの高級クラブに発展させた。1985年には作家として直木賞を受賞しているが、女心の深奥を描く作品の源流には、銀座ママ時代の経験が色濃く反映されている。その山口洋子さんが、もっとも評価したホステスの1人が田村順子だった。

日本楽器(現・ヤマハ)銀座支店の受付嬢を経てモデルの仕事をしていた当時22歳の順子をひと目で気に入り、即日「姫」にスカウト。洋子ママの見立て通り、順子はたちまち「姫」のナンバー1となり、夜の銀座にその名を轟かせるようになる。

■「美人受付嬢」だった順子にまさかの「解雇宣告」

若き日の順子ママには数多くの“激モテ伝説”がある。まだ「姫」のホステスになる前、日本楽器(当時は“ニチガク”と呼ばれていた)銀座支店の受付をしていた順子は、ある日社の幹部に呼び出され、“解雇”を通告される。

「ニチガクの受付にかわいい子がいる」と銀座中で噂になり、会社の受付電話に連日、男たちから“デートの申し込み”が多数入るようになったため、電話の交換台の担当者が社の上層部に通告したのが原因だった。

その後「姫」に入った順子は、無遅刻無欠席、6ヵ月連続同伴出勤という当時の“記録”を打ち立てる。入店時、2800円だった日給は2年後、1万2000円にまで上昇した。大卒の公務員初任給が月給約2万円だった時代である。

あるとき、「姫」で酔った客が山口洋子ママに抱きつき、キスを迫ったことがあった。そのとき順子は思わずこう叫んだ。

「やめてください! ママにはそんなことしないで。やるなら私にして!」

後に、山口洋子は順子にこう語ったという。

「あのとき、あなたはいけると思ったのよ。この仕事に向いている。きっと成功するとね」

■ビートルズ初来日と「夜の接待要員」

順子が「姫」の人気ホステスだった時代、世界的人気を誇ったビートルズが初来日(1966年)することが決定した。当時の「姫」の常連客に、このビートルズ招聘(しょうへい)を手がけた興行関係者がいた。

ある日のこと、「姫」で接客していた順子は山口洋子ママがこの常連客に大きな声でこう言っているのを聞いた。
「どんな条件でもそれはダメです。順子ちゃんだけは私が認めません!」
「これは後から聞いた話ですが」と語るのは順子ママご本人である。

「彼はビートルズが来日した際、夜のお相手をする女の子を選定していたというのです。洋子ママは、まだ若くて世の中のことを知らなかった私を、知らないところで守ってくれたのでした」

ビートルズの「夜の接待」となれば、受けても断っても伝説になりそうだが、このとき「ご指名」がかかっても毅然と断った山口洋子ママも凄かった。

「クラブ 順子」1周年

「歴史は夜、作られる」――戦後裏面史の舞台であり続けた「クラブ順子」の50年を、田村順子ママが回想した別冊宝島『「銀座」を愛した男と女たち』がこのたび刊行される。初めて明かされる数々の逸話は、正史を凌駕する圧倒的なリアリティに満ちている。

別冊宝島『「銀座」を愛した男と女たち』

1941年東京・西巣鴨生まれ。東洋女子学園高等部卒業。山口洋子が経営する銀座クラブ「姫」にホステスとして勤務。66年に独立し「クラブ順子」開店。政・財・芸能など各界に幅広い人脈を持つ。(PRESIDENT Onlineより)

脳裏に焼きついた、渡辺淳一の言葉

もてる男性は、自信がある顔をされていますね。自信過剰は否定的に取られることが多いですが、私は過剰でもいいし、ホラ吹きは大物になると思っています。ホラを吹いて、それに向かって邁進する。根拠のない自信を持っている男性の方が成功していますね。

多くの方々がトランプ米大統領に対して嫌悪感を抱きますが、私はいい大統領だと思います。おしゃれで、スピーチで言いたいことを言うあの雰囲気は大好き。発言は全部計算していらっしゃると思います。時々ああいう人が出てくることで、世界が活気づくのでしょう。

幼い頃、何度も防空壕に避難した私は、戦争はもちろんNGですが

自分が歩む人生を計算できる人、目標を立てることができる人には成功している人が多い。男性はプライドが高いほうがいいですが、中身がそこに付いていかない人はすぐにわかります。

そうやって成功している人は、寡黙であることが多いですね。もちろん中身がないとダメですが、もの知りで寡黙な人は本当に魅力があります。

もう亡くなりましたが、作家の渡辺淳一さんは寡黙でおとなしい。でもぽつりとしゃべる言葉が耳に入ってきます。「順子ちゃん一番きれいだよ」と言われると、饒舌な人に言われるよりも嬉しい。「順子ちゃんは鈍感だね。鈍感も才能のうち」と言われたことが、今でも脳裏に焼き付いています。時々ふわりとそういう“本当のこと”をおっしゃるんですね。どんなに成功している男性でも、苦しいことがあったからこそ成功している。敏感だったらストレスがたまって精神的に参ってしまいます。私も鈍感だからここまでやってこれたのです。

渡辺さんは、私が気付かぬうちに店の女の子を口説いて、ご自分の秘書にしてしまいましたが、あれだけ羽を伸ばしても奥様がしっかりと支えていました。奥様の支えがあり、しっかりと周りに囲まれて、それに幸せを感じる人はいい顔をしています。最初にお話しした江本さんもそうですが、やはりそういう男性はもてますね。

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