アメリカ合衆国のジャーナリスト。57年間に渡ってユナイテッド・プレス・インターナショナル(UPI)に勤務し、ホワイトハウスでジョン・F・ケネディ以降の歴代アメリカ合衆国大統領の取材にあたってきた。1920年、ケンタッキー州のウィンチェスターで生まれ。ミシガン州デトロイトで育ち、ウェイン大学に進学。1942年に学士号をとって卒業した。
1942年ワシントンDCの新聞社を経て、1943年UPI通信社に入社。1961年ケネディ大統領就任と同時にホワイトハウス詰めになり、常駐記者としては最長記録をつくる。また、ホワイトハウス記者会初の女性会長、ワシントンのナショナル・プレス・クラブ初の女性会員、UPI初の女性ホワイトハウス支局長として活躍。歴代大統領や報道官から高く評価され、大統領の記者会見では常に最前列に座り、最初の質問をする特権を“慣例”として認められた。
2000年5月退社。同年7月ハースト・ニュース・サービスと契約し、新聞コラムニストとなる。2010年引退。ケネディ氏からオバマ氏まで計10人の米大統領を半世紀にわたって取材し続け、常に厳しい質問を浴びせながら大統領の胸の内を読み取ろうとした。
2006年3月21日、3年間ぶりにブッシュ大統領から直接指名され彼女は、イラクについて質問するが、保守的なコメンテーターから批判を受けた。
ブッシュ大統領への意見を公然と述べている。職業ジャーナリスト協会での講演の後、サインを求めてきた者が訊いた「あなたはなぜ悲しそうにしているのか」との問いに対し彼女は「私はアメリカ史上最悪の大統領を取材しているのよ」と言った。
彼女が答えた相手はDaily Breeze誌のスポーツライターで、彼女のコメントは出版された。その後40年以上にわたった経歴の中で、初めてプレス会議で指名されなくなると、彼女は大統領に謝罪の手紙を送った。
2006年7月18日のホワイトハウスプレス会議において、「合衆国は全くの無力ではありません。合衆国はレバノン爆撃を止めさせることができたはずです。イスラエルに対し十分な影響力を持っているのだから。レバノンとパレスチナへの集団懲罰(collective punishment)を支持する…、それがこの国の考えだということです」。報道担当官トニー・スノーは応じた。「ヒズボラ側の見方をどうもありがとう」と述べた。
2010年5月27日、ラビライブ・ドットコムのインタビューで「ユダヤ人たちはパレスチナから出て行け」「あの人たち(パレスチナ人たち)は占領されている。あれは彼らの土地だ」「(イスラエルに在住する)ユダヤ人たちは、ポーランドでも、ドイツでも、アメリカでも、どこへでも帰ればいい」と発言し、物議を醸した。
彼女は後に謝罪したが、アメリカのユダヤ人団体「名誉毀損防止同盟」(ADL)が「十分な謝罪になっていない」と反発したほか、ロバート・ギブズ大統領報道官は「攻撃的で非難されるべき」、ホワイトハウス特派員協会も「弁解の余地ない」発言と批判した。この責任を取って6月7日、ヘレン・トーマスはジャーナリストを引退した。
パレスチナ問題に関する発言が原因で引退に追い込また。ユダヤ人入植者はパレスチナを去るべきだと、述べてしまった。問題は「ドイツやポーランドに帰ればいい」と言ったこと。ドイツとポーランドは、ナチスのホロコースト(ユダヤ人大虐殺)の舞台となった国。発言は激しい反発を買い、ジャーナリスト人生に思わぬ形で終止符が打たれることになった。「私は過ちを犯した」と謝罪しても、許しは与えられなかった。トーマスは6月7日、引退を表明した。
通信社の速記者から出発して、リベラル派ジャーナリズムのシンボル的な存在になっていった。ほかの記者たちがイラク戦争を盛り上げるような報道を続けるなか、ホワイトハウスの記者会見で当時のジョージ・W・ブッシュ大統領に批判を突きつけたことでもよく知られている。
ニュー・リパブリック誌のジョナサン・チェートはブッシュ前大統領への攻撃的な質問は「記者会見の場にふさわしくない上に、戦略としても失敗だった」と書いている。その質問により自身は左派の評価を得たが、結果として保守派に左派叩きの口実を与えてしまった、という。
ホワイトハウス担当の記者はたいてい、スクープは飛ばさない(ウォーターゲート事件をすっぱ抜いたワシントン・ポスト紙のボブ・ウッドワードとカール・バーンスタインは社会部の記者だった)。それに、逆効果という面があったにせよ、大統領の権威に怖気づかずにブッシュを堂々と批判する姿勢は新鮮だった。
引退に追い込まれた舌禍事件も、パレスチナ問題に関して歯に衣着せずに発言し続けてきた。レバノン移民2世として、このテーマについて言っておくべきことがあると感じていた。
そうだとしても、2006年5月27日、ユダヤ系ジャーナリスト、デービッド・ネセノフのインタビューに応じて軽はずみにしゃべった言葉は一線を越えていた。自分の発言が人々の怒りを買うことに、本人はまったく気づいていなかった。
高齢のせいなのか、思ったことをそのまま口にするケースが目立った。ある程度の年齢になると、思ったことを何でも言っていいと感じていたのだろうか。
ブッシュ大統領の時は、著書にサインを求めてきた人物との会話の中で、相手がジャーナリストだと気づかずに、ブッシュ前大統領を「史上最悪の大統領」と決めつけたこともあった。この発言が大問題に発展しなかったのは、当時多くの人が同じ考えだったからに過ぎない。
彼女の標的は共和党だけではない。民主党のバラク・オバマ大統領に対しても、アフガニスタン戦争をエスカレートさせたことを理由に怒りを爆発させている。歴代のホワイトハウス報道官は、「扱いにくい相手」と見なしていた。
高齢を理由に引退すべきだという指摘をことごとくはねつけてきた。偉大なチェリストのパブロ・カザルスに引退を勧告した人物はどこにもいないと、いつも言っていた。もっとも、カザルスは95歳の誕生日の直前まで完璧な演奏を続けていた。
90歳目前まで立派にジャーナリストの任務をまっとうしていたことは事実。この点は、おそらく誰にも真似できない偉大な業績と言っていい。
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