〈STORY〉
ロンドン郊外のケンウッドハウスに飾られた1枚の絵に描かれた褐色の肌の女性。黒い肌の伯爵令嬢が存在していたという。
18世紀に実在した、英国貴族と黒人奴隷との間に生まれた混血の伯爵令嬢のお話です。名前はダイド・エリザベス・ベル。彼女の存在は長らく秘されており、21世紀になるまで知られていませんでした。
ケンウッドハウスの持ち主は初代マンスフィールド伯爵で、彼は裁判官でもあり、ベルの父親ジョン・リンゼイ伯爵の叔父でもありました。
ジョンはイギリスの海軍士官で、スペインで奴隷船に乗せられていた黒人奴隷の女性と恋に落ち、産まれたのがベルでした。奴隷だった母親はベルを産んで直ぐに亡くなっています。
しかし、ジョンには妻がいた為、娘ベルは叔父マンスフィールド伯爵に預けられる事に。マンスフィールドはベルを立派なレディにする為、様々な教養を与えます。
しかし肌の事もあり、公の場に出席する事は許されていませんでした。マンスフィールド伯爵の甥で、法律家志望のダヴィニュールという青年と出会い2人はお互いに愛し合うようになります。
彼女を育てた大叔父というのは、当時のマンスフィールド伯爵、国王に次ぐ権限を持つといわれる高等裁判所主席判事の地位に就いており、
イングランドにおける黒人奴隷廃止法制定のきっかけとなった「サマセット事件」と「ゾング号事件」を担当した人で、”奴隷という身分はイングランドの法において存在しない”、と宣言しました。
彼の下した判決により、その後の奴隷廃止運動を後押ししたことで知られています。現在、歴史家の間ではこれらの判決に彼女、ダイドの存在が大きく影響したと考えられています。
彼女のために、という想いが少なからずあった、ということです。
だからこそ、ダイドのことは隠されてきました。マンスフィールド伯の個人的な視点がその重要な裁判に作用した、とされるのを避けるためでもあったのでしょう。
ヴィクトリア調よりも前の時代です。この頃の肖像画では、黒人を描く際にひざまづいて描かれるのが常で、主人と同じ頭の高さで見せることはまず、ありえないそうです。
マンスフィールド伯は、伯爵家の体面や厳しい慣習の隙を掻いくぐりながら甥孫の彼女を、家族として可愛がっていたのがうかがい知れます。
ダイドは同じく伯爵家に引き取られていた、又従姉のエリザベスと等しく良家の子女としての教育を施されており、とても聡明だったようで伯爵の受け持つ裁判の相談役をしていたそうです。
実話ベースですが、かなりドラマチックな人生を映像化に挑んだ意欲は評価できますが、小さくまとまりすぎていて物足りなさが残ります。
映像は素晴らしく美しいですが、イギリスの歴史物はエピソードにメリハリがないため、飽きが抑え切れないかも。感情移入は難しい作品です。2013年制作。
マンスフィールド自身は奴隷制に反対していたにもかかわらず、マンスフィールド伯爵家のしきたりは差別的なものでした。
ダイドは家族と一緒に食事を摂ることは出来なかったし、特に賓客を招いていた時には厳しく禁じられたが、食後に客間で貴婦人たちがコーヒーを飲みながら談笑する際にはこれに参加した。
ダイドは成長するに伴い、ケンウッドの付属農場での酪農や家禽の世話に関する監督を任されるようになり、また大叔父の裁判に関する問題でも相談役を引き受けていた、
このことは彼女がマンスフィールド卿のもとで十分な教育を受けたことを意味している。
家禽や家畜の管理という仕事は、ジェントリ階層に属する女性の役目であるが、裁判の審理に関する相談役というのは普通は男性秘書に任される仕事であり異例のことである。
ダイドは毎年の手当として30ポンドから10数ポンド程度を貰っており、時には召使1人分程度の場合もあった。
一方、一緒に育ったエリザベスは100ポンド程度を貰っていたが、女子相続人としての権利も得ていた。ダイドは人種的な問題、当時の私生児の法的・社会的地位の問題からエリザベスとは大きな身分の隔たりがあった。
奴隷制というものがイギリス内で判断されるかの分岐点の時に、重要な決断をした理由が謎めいていました。想像でしかありませんが、映画は強く影響を及ぼした設定になっています。
ダイドが結婚したジョン・ダヴィニエは、ハムステッドの牧師の息子ではあったものの、映画の中の様な法律家ではありませんでした。
結婚後、ダイドは3児を儲け、41歳で死去。ケンウッドハウスを去ってからのダイドの結婚生活の記録は、残っていません。
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