アナ・シェイ「アジア系米富豪」大泉黒石の孫

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米国ロサンゼルスに住むアジア系富裕層の人生を描いたネットフリックス番組『きらめく帝国 〜超リッチなアジア系セレブたち』の出演者のアナ・シェイが62歳で脳卒中で突然亡くなりました。個性的な外見とは裏腹に、周りに強要や抑圧ではなく、助言を伝えて深い印象を残した。

アナ・シェイの父親エドワード・シェイは、米国を代表する防衛産業会社パシフィック・アーキテクチャ・アンド・エンジニアを創立した億万長者で、1995年に亡くなった。その後、弟とともに会社を売却、彼女の資産は6億㌦と推定されていた。結婚歴は4回、息子ケニー・ケンプがいる。

日本と関係があるロシア系貴族の血筋といい、2015年に亡くなっている母親は大泉黒石の娘です。ですから彼女は孫ということになります。

自称「国際的の居候」。アナキスト的思想を盛り込んだ小説『老子』『人間廃業』などのベストセラーがある。

大泉黒石(おおいずみこくせき)とは?

1891年、来日した来日したロシアのニコライ皇太子が斬りつけられるという「大津事件」がありました。滋賀県大津で皇太子を警護していた巡査が突然、皇太子を襲った。

この時、神戸港にはロシア海軍の艦隊が停泊しており、軍事的衝突が懸念されましたが、明治天皇が直接謝罪に赴き、ことを収めること成功します。しかし、ニコライ皇太子は日本嫌いとなり、皇帝に就いたときに生じた朝鮮半島の利権、摩擦が日露戦争と向かうことになります。

日露戦争は、東郷平八郎率いる日本海軍がロシア・バルチック艦隊を殲滅。これだけが原因ではありませんが、ロシア王朝は弱体化にむかい、共産革命が起こり、ロマノフ王朝は崩壊することになります。

大泉黒石の父親は、ニコライ皇太子を襲撃した「大津事件」で随行していたロシア人アレクサンドル・ステバノヴィチ。母親は、世話役だったロシア文学研究をしていた大泉恵子。

大泉恵子は周囲の反対を押し切り、結婚し子を産みますが産後の肥立ちが悪く、出産後1週間で亡くなってしまいます。16歳という若さです。

長崎で生まれ、幼少期はロシアやフランスで過ごし、ロシア革命が勃発すると日本に戻り、日本で高校、大学に入学。在学中に福原美代という女性と結婚します。現在の京都大学、東京大学に入学していますが、卒業はできなかったようです。

混血であることから、差別により社会的には恵まれず、定職には就けなかったようであるが、自らの数奇な人生を描いた自叙伝が評価され、ベストセラー作家に。『老子』『人間廃業』などの作品がある。日米戦争がはじまると文壇からは排除され、作家として作品は途絶え、戦後は通訳として生計を立てていたようです。

1957年に亡くなっている。

大泉黒石の子には、俳優となった大泉滉もいます。主役級ではありませんが、多くの映画に登場しています。テレビのバラエティー番組やコマーシャルに、たくさん出演していましたから年代によっては馴染み深い人かと。1998年に癌のため亡くなっています。

 

 

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