アラン・チューリング 機械は(人間的な)思考をするか?
彼の考案した仮想のマシン=チューリングマシンはコンピューターの原理となり、その後、コンピューター実機の開発が始まる。しかし、チューリングは最初からコンピューターの原理を考案しようとたわけではありませんでした。チューリングマシンからコンピューターが生まれるまでには長い物語がある。
映画「イミテーション・ゲーム」は、コンピューターの原理を発明したと言われる数学の巨人アラン・チューリングが、ヒトラーの最強暗号「エニグマ」の解読に挑み、間接的に多くの人の命を救った英雄物語である。
映画は陰の部分にも光があたる。幼い頃からゲイであり、女性に恋心を抱くことができなかったチューリング。当時のイギリスにおいて同性愛は犯罪行為であり、彼はそのことに悩み、最後は悲劇的な事件に巻き込まれる。しかし生涯で一度だけ、エニグマ解読の拠点ブレッチリーパークで同僚だった女性数学者ジョーン・クラークに恋をして、婚約をしている。それは恋心だったのか、それとも同僚数学者に対する敬意だったのか。その辺りも、美しくも切なく描き出されている。
第二次世界大戦時、ドイツ軍が誇った世界最強の暗号<エニグマ>。世界の運命は、解読不可能と言われた暗号に挑んだ、一人の天才数学者アラン・チューリングに託された。英国政府が50年以上隠し続けた、一人の天才の真実の物語。時代に翻弄された男の秘密と数奇な人生とは――?
1954年6月、アラン・チューリングは、アパートの自室で毒リンゴを持ち死んでいるのを発見された。同性愛の罪で有罪となった後、41歳のことだった。チューリングは1912年に生まれた。幼いころから科学と数学の才能を発揮していたチューリングの愛読書に、有名な一節がある。「もちろん体は機械みたいなものだ。ものすごく複雑な機械で、人間の手で作られたどんな機械よりも、ずっとずっと複雑だ。でもやっぱり機械なんだ」
チューリングはケンブリッジ大学で学び、フェローに選ばれる。1936年に「計算可能な数について」という有名な論文を発表し、「万能チューリング・マシン」という重要な概念を打ち出した。
これは、たった1つの機能のために使われる機械を多数作るのではなく、機械が1本のテープから順番に命令を読みだしていけば、様々なタスクを実行できる。つまり、他のあらゆる機械のモデルとなる万能マシンを作ることができるとしたのだ。
多種多様な作業を行うために、エンジニアは多種多様な機械を無限に作る必要はなく、万能マシンをプログラムすればよいのだと。現在のコンピューターの、基本的なアーキテクチャーを確定する理論だった。
第二次世界大戦が始まると、チューリングはドイツ軍のエニグマ式暗号機を解読するためのチームメンバーとして、ブレッチリー・パークで働くようになる。当時、解読不可能と言われたこの暗号は、タイプライター型の機械にその日の設定をして作成し、受信側の機械を同じ設定にすれば、その暗号文の元の文が出てくるという仕組みだった。この設定は天文学的な数の組み合わせがあり、その組み合わせをしらみつぶしに試すには、人手で計算すると、何万年もかかってしまう。
難攻不落の暗号エニグマは、1918年にドイツで発明されてナチスに採用された暗号装置。
解読が難解とあって、敵国の暗号解読者たちにとっては戦争より高い壁だった。ナチスは絶対の自信の上にエニグマの暗号で機密文書を送受信していました。難攻不落といわれたエニグマの暗号でしたが、イギリス人の天才数学者「アラン・チューリング」によって、連合軍はエニグマの解読に成功していたのです。最大の弱点は、「1日の送信量が大量なこと」で、パターンのサンプルを多く敵側に与えてしまうことにありました。
エニグマ暗号の鍵は、159,000,000,000,000,000,000通り。この天文学的な数字の中から、たった1つの正解を探すのは、時間的に無理。
そこで登場したのが数学的解決。ひとつずつ探す総当たりではなく、探索空間をある程度区切って探すことで、「高速な計算機械により、探索時間も短縮する」というのが、チューリングをリーダーとする暗号解読チームのとった方法でした。その高速な計算機械を指すのが「チューリングボンベ」というもので、電気式のアナログ探索装置と呼ばれています。これにより、気の遠くなる可能性の中から「正解」をほんの15分ほどで見つることが可能になり、エニグマ暗号の解読は成功したのです。
1941年、チューリングが電気機械式の暗号解読装置を生み出し、エニグマ暗号は解読できるようになる。解読装置は200台以上作られ、ドイツ海軍のUボートの位置などを正確に把握することが出来るようになった。この成果によりノルマンディー上陸作戦は成功し、終戦を大幅に早めることができた。
イギリス政府は、終戦後もエニグマ式暗号機が解読できたことを極秘扱いにする。第2次世界大戦中のチューリングたちの記録を抹消し、ブレッチリー・パークでの彼や彼の同僚の活動についてのあらゆる痕跡は消された。イギリス政府は、ドイツから没収した数千台のエニグマ式暗号機を、旧植民地などに普及させる。そして絶対に破られない暗号機と偽って使用させ、密かにその通信を傍受し各国の内情を把握していた。
イギリス首相チャーチルは、彼らを「金の卵を産んでも決して鳴かないガチョウたち」と称した。関係者たちはみな、その秘密を守り、1974年に一般公開されるまで、イギリス国民は誰もチューリングの偉業を知ることはなかった。
終戦後、チューリングは暗号解読を続けることはしなかった。戦前から考えていた、人間の脳の思考モデルを機械で実現するElectronic Brainと呼ばれるマシンの開発を目指した。そして1950年に「計算する機械と知性」という論文で、著名な「チューリング・テスト」を発表。この論文は次のように始まる。
「私は『機械は思考できるか』という問題を検討することを提案する。そのためには、まず『機械』と『思考』という言葉の定義から始めなくてはならない」
1952年、チューリングは警察に逮捕される。罪状は同性愛の罪だった。当時の警察は、チューリングがイギリスを救った第二次世界大戦の英雄だったことを知らなかったのだ。チューリングは有罪となり、同性愛を矯正するためとして、女性ホルモン注射の定期的投与を受け入れる。
チューリングは「胸が膨らみ自分が違う人間になっていく」と手紙で訴えていたが、やがて自宅のベッド死んでいるのを、家政婦によって発見される。ベッドの脇には、かじりかけのリンゴがあり、死因は青酸化合物による自殺と断定された。人工的に人間の脳を創るというチューリングの夢は、ここで途絶えたのだった。
2013年、エリザベス女王はチューリングに対して正式に恩赦を与え、死後60年経ってから名誉を回復させる。なお、Apple社のリンゴのマークは、チューリングのかじったリンゴだという。
アラン・チューリング「人工知能の “考え方” は我々とは異なる」
機械は(人間的な)思考をするか?
アラン・チューリングは論文「COMPUTING MACHINERY AND INTELLIGENCE」の冒頭で「機械は(人間的な)思考をするか?」という普遍的な”問い”を掲げた上で、「”問い”の視点を変えてみよう」と提案しました。
何故、視点を変えようと提案したのか。
それは、チューリングは「人間には扱えて」「機械には扱えない」概念があると考えていたからです。
(停止性問題)
つまり「人間を完全に再現する事は不可能」である事が確定している以上、それ以上論じても仕方が無いという訳です。
ですので建設的な議題として、「考え方(プロセス)は考慮せず」、「結果(出力)の正しさに着眼すべき」であると展開しています。
コメント