警察を翻弄「戦後最悪の連続殺人鬼」勝田清孝

人物

1972年から1983年の約10年間にわたり、勝田清孝が東海地方・近畿地方で8人を相次いで殺害した連続殺人事件。1994年に死刑判決が確定、2000年に執行された。

約300件に及ぶ窃盗、立証できた殺人は8人。自供によれば22人を殺害しているという。

しかし、証拠もなく曖昧な証言のため、立件できず迷宮入りに。さらに、殺人の合間に夫婦で高視聴率のTVクイズバングに出演し優勝、賞金を得ていた。

1948年、京都府の農家に生まれる。

高校2年、ひったくりで少年院送致、高校を退学。その後、トラック運転手などを経て、22歳のときに周囲の反対を押し切って隣町の女性と結婚する。反対は前歴のため。

1972年、地元で消防士として採用され、順調に消防士長に昇進する。勤務態度は真面目、将来の幹部候補だったという。前科は後に判明するが、不問にされている。縁故採用のうわさも。

職場での真面目な消防士の姿とは裏腹に生活は派手に。高級マンション、飲み歩き、高級スポーツカーを乗るように。女関係も派手に。

当然、公務員の給料では賄えず、借金で首がまわらない、返済に困ります。よくある話ですが、極端な方法を選択をする。空巣や車上狙いを繰り返し返済、虚飾の生活を維持していたという。

最初の殺人は、消防士になってすぐ

1972年9月13日、京都市東山区山科のアパートに侵入し住人のクラブホステス女性(当時24歳)を強姦した上で絞殺・現金1000円(1972年の大卒初任給4万円)を奪った。

2件目は、1975年7月6日、大阪府吹田市原町のマンション通路でクラブママ女性(当時33歳)を絞殺して現金約10万円などを奪った。ひったくりをしたところ抵抗されたことが殺人に。

3件目は、1976年3月5日、愛知県名古屋市中区千代田の路上でシボレー・カマロから降車したクラブホステス女性(当時32歳)を襲撃して絞殺・現金約12万円などを奪った。騒がれたことに逆上した犯行だった。

1977年6月30日、名古屋市南区笠寺町西ノ門で麻雀荘アルバイト店員女性(当時28歳)宅に侵入、現金約4万円を持ち去ろうとしたところに帰宅した女性と鉢合わせしたために絞殺。

この事件では、殺害された女性と愛人関係あった男性が逮捕されている。愛人関係を維持のため会社の売上を横領していたことがわかり、詐欺罪で懲役1年4ヶ月服役、警察は殺人犯と捜査していたため、後に謝罪している。

この6日後の1977年7月6日、朝日放送(ABCテレビ)で放送されていたクイズ番組『夫婦でドンピシャ!』(司会者:月亭可朝・出演:海原小浜)の収録に妻とともに参加。

優勝を勝ち取り賞金8万円・商品券10万円分を獲得する。

1977年8月12日、名古屋市昭和区小桜町のマンションで美容師指導員の女性(当時33歳)宅に侵入、女性を絞殺して約45万円相当のダイヤモンド指輪を奪った。

その8日後、1977年8月20日、出演した『夫婦でドンピシャ!』が放送され、視聴率20%前後を記録。

1977年8月までに、若い女性5人を殺害し金品を奪っている。

疑われたのは消防士になるまえの1972年、近隣の第一勧業銀行(現みずほ銀行)で女子行員暴行殺害事件が起こる、警察は少年院あがりの勝田清孝に疑惑の目を向け、捜査が行われている。

このときは奈良市の運送会社で長距離トラックドライバーとして働いていた。友人がアリバイを証言し事なきを得ているが、未解決のため疑惑は残る。

ここまでは、お金を持っていると思われる女性が被害に。殺害された女性たちは人間関係が少しもつれがあった。被害額もそれほど大きくなく、人間関係に起因した犯人像が警察にでき、金銭目的の同一犯の連続殺人という想像力には至らない。

1977年12月13日午後5時過ぎ、兵庫県神戸市で現金輸送中だった兵庫労働金庫(現:近畿労働金庫)神戸東支店店員の男性(当時25歳)を猟銃で射殺。現金410万円を奪った。6件目の殺人。

1980年2月15日午後3時50分ごろ、名古屋市瑞穂区の市道で瀬戸信用金庫瑞穂通支店の外交員男性(当時44歳)が襲われる。集金を終えバイクで帰社するところで、抵抗しなかったため殺されなかった。

「年齢30歳程度・短髪で面長。青いサングラス・白っぽいジャンパーを着用した暴力団組員風の男」と言う証言が捜査を惑わすことに。

1980年7月30日、名古屋市名東区高社の「中部松坂屋ストア一」から現金・商品券 576万円を強盗。夜間店長男性(当時35歳)に運転させるが抵抗をしたため射殺。7件目の殺人。

使用された猟銃は名古屋市内の愛好家から盗んだもの。

1980年11月8日、大阪北区新地の繁華街で車上狙いで逮捕される。被害は車内にあった現金78000円が入った財布など。翌日、地元新聞にて顔写真入りで報道され、勤務先である相楽中部消防署は懲戒免職に。

ここまで消防士と両立して多くの殺人、窃盗、強姦をやっていたことに。

執行猶予付きの判決で、7件に及ぶ殺人はばれることなく、警察はさらなる凶悪事件の発生阻止の機会を逸することに。

1982年8月18日、滋賀県大津市島の関の駐車場で乗用車を盗む。この車を使い京都山科区竹鼻堂ノ前町のスーパーマーケットに強盗に向かうが、男性店員を重傷を負わせただけで、売上は奪えず未遂に。

ここから更に暴走モードに拍車がかかる。

1982年10月25日、名古屋市中区新栄の駐車場に停めてあった車を盗む。大学生所有のトヨタ・セリカだった。2日後、偽名を使い派出所から警察官を呼び出します。

違法駐車の対応を依頼するわけですが、パトロールから戻ってきた警察官を襲い拳銃を奪います。

盗んだセリカを用い、対応にあたった38歳の派出所配属巡査を跳ね飛ばします。さらに所持していた鉄棒で頭部を殴るなど暴行を加えて、巡査が所持している実弾入の拳銃を奪う。

巡査は意識を失い通行人に助けらます。両目を失明寸前まで陥りますが、後に職場に復帰。

事件を受けて愛知県下全域に緊急配備態勢を敷き、警戒態勢に全力を挙げつつ犯人割り出しを進めたが、後の事件を阻止することはできませんでした。

1982年10月31日、静岡県浜松市内でスーパーマーケットに拳銃を持って強盗に押し入るも失敗・逃走。

同日、滋賀県名神高速・大津サービスエリアに駐車中のワゴン車にヒッチハイクする。拳銃で脅し滋賀県草津市まで移動、そこで抵抗してきた運転手を射殺。千葉県から来ていた溶接工の27歳の男性、8件目殺人。

1982年11月1日、名神高速道路・養老サービスエリア内ガソリンスタンド店員男性(当時46歳)に重傷を負わせる。胸を撃たれますが、命はとりとめます。

1982年11月28日、京都市山科区内のスーパーに拳銃強盗、売上金152万7000円を奪って逃走する。

年が明けた1983年1月30日、自分のクラウンで京都市内のマンションを出発、名古屋まで行き、路上に駐車してあったカローラを盗み、乗り換える。そして銀行を狙いに向かいます。

名古屋市昭和区阿由知通「第一勧業銀行御器所支店(現在閉店)」、駐車場で預金102万3000円を下ろして帰宅しようとした運送会社・社長を襲撃。

反撃され取っ組み合いになる。騒ぎに気づいた銀行員らが加勢、押さえつけられ、駆けつけた警察官に緊急逮捕される。このとき拳銃2発を発泡するが命中しなかった。

一連の殺人事件が勝田の犯行とわかるのは、自供があって初めて結びつく。

消防士として真面目に働き、家庭も気づきながら虚飾の人格を抑えることはできなかった男、犯行が収まったのは消防士として昇進したときと愛人の存在ばれて、妻が自殺未遂をしたときだけ。

犯罪史に残る殺人鬼ですから、たくさん書籍が出されています。木下英二著の「勝田清孝事件」(2005/07発売)が読み応えがある。古書店でも見かけることが多いかも。

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