学生時代、フレッド・ペリーのポロシャツが大流行したことがありました。どちらかというと、女の子が短いスカートと合わせて着ていた印象です。運動系サークルのユニフォーム的な感じで、憧れでしたね。
今のルーズなスタイルからは、真逆のシルエットです。痩身でないと似合わないし、何よりも高額です。10000円以上はしていました。
洗練されて、おしゃれなブランドのはずが、とばっちりを受けています。
アメリカの話ですが、極右団体「プラウドボーイズ」がフレッド・ペリーのブラック・イエローのポロシャツを「非公式制服」として、着用していました。この団体が過激なため、問題です。
アメリカとカナダの男性のみによって構成されるオルタナ右翼団体。カナダのエッセイスト、ヴァイス・メディア共同創業者であるギャヴィン・マキニスによって2016年に創設。正式な立ち上げは2016年9月に、極右のウェブサイトTaki’s Magazine上で、ディズニーのミュージカルアラジンの曲である“Proud of Your Boy”から冗談で命名されて作られたもの。
団体の信条は、創設者により「現代社会を形作った事を詫びるのを拒否する西洋文化優位主義者」だと説明されている。現リーダーはラテン系アメリカ人によるドナルド・トランプ支持団体「ラティーノス・フォー・トランプ」の幹部でもあるキューバ系アメリカ人のエンリケ・タリオ。
この団体が、左翼勢力、リベラル勢力に集会に表れて、対峙するたびに時に暴力事件にも発展する衝突を起こしてきました。そのたびにマスコミに、フレッド・ペリーの月桂樹のロゴはっきりと映ります。
完全にとばっちりですが、フレッド・ペリーを着て、暴力的な行為を行うさまが、繰り返しメディアに取り上げれらは、たまったもんじゃありません。築き上げたブランドイメージは崩れ、あらぬ疑いもかけられます。
フレッド・ペリー側は象徴として使われることに強く抗議し、北米市場にてブラック・イエローのポロシャツの販売を停止、メンバーらに着るのをやめるよう呼びかけていますが、効果はないようです。
こういったことは、たまに起こります。日本では、1998年に発生した「和歌山毒物カレー事件」が思い出されます。
夏祭りのカレーにヒ素毒が投入されて、4人が死亡。67人が急性ヒ素中毒になりました。犯人と疑われた女性が日常的に、着ていた服が「ミキハウス」。マスコミに申し入れがあって、途中からモザイクが入りましたが、時すでに遅し。かなりのダメージを受けました。「ミキハウスの宣伝部員」とまで言われてましたね。
フレッド・ペリー(1909年5月18日 – 1995年2月2日)は、イングランド・ストックポート出身の男子テニス選手です。“イギリスのテニスの神様”として、今なお尊敬を集め続けている名選手である。4大大会でシングルス通算「8勝」を挙げ、1934年から1936年にかけて、地元のウィンブルドン選手権で大会3連覇を達成した。
フレッド・ペリー以降、イギリス人男子が優勝ができなかったため「ウィンブルドン現象」という言葉が生まれました。「門戸を開放した結果、外来勢が優勢になり、地元勢が消沈または淘汰される」という意味ですが、経済において、「自由競争による大企業の淘汰。市場開放によるグローバル企業のローカル企業淘汰」という意味で使用されます。
1952年、ロンドンで「フレッド・ペリー・スポーツウェア社」を設立。当時のテニスウェアはオーバーサイズ気味のルーズシルエットでしたが、創業時から現在までタイトフィットを貫いています。この身体に沿うようなシルエットがテニス業界を中心に話題となり、ブランドの地位を確立しました。
月桂樹のロゴで広く知られ、テニスウェアとしてだけではなく、1960年代にはモッズと呼ばれた若者にも好んで着られており、現在でも服飾ブランドとしての地位を固めている。
1995年に、85歳でオーストラリアで亡くなっています。この年に日本企業・ヒットユニオンに売却されいます。
ヒットユニオンは、買収したフレッドペリーほか、オリジナルブランドのJackman(ジャックマン)、ヒットユニオンを展開している企業です。情報を発信していない企業の為、詳細は不明です。
かつてヒットユニオンは、リーベルマン・ウェルシュリーの委託によりプーマのウェアを製造・販売をしていました。1980年代に日本国内で販売されたスポーツウェアのタグには、製造元のヒットユニオンの表記があります。現在はプーマアパレル ジャパン株式会社の設立に伴い、販売事業からは撤退し製造のみとなっています。
日本国内でプーマのウェアを販売(1973年~)かつてヒットユニオンは、リーベルマン・ウェルシュリーの委託によりプーマのウェアを製造・販売をしていま
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