大王製紙スキャンダル 井川意高(いかわもとたか)

人物

大王製紙事件、2011年に発覚した背任事件。

事件後、ネットを中心にメディアにも顔を出していますが、AbemaTVで放送の負けたら坊主になるという「坊主麻雀」に出演していました。麻雀大会で圧勝し、賞金500万円を獲得しています。

これをみていて、地頭がよく「論理的な考えができる」「コミュニケーション能力が高い」、柔軟な思考力を持っているといわれる通りの人で、頭がいいはずですが、なんでこんな事件を起こしてしまったのか?

学歴も学歴は筑波大学附属駒場中学校・高等学校、東京大学法学部を卒業しています。大金持ちの慶応とかは信用しませんが、中学から大学まで国立です。

愛媛県伊予三島市を拠点とする製紙会社大王製紙2代目・井川高雄の長男として1964年に生まれる。2代目・井川高雄のときに躍進します。「エリエール」ブランドを軸に1986年、ティッシュペーパーのシェアで国内トップに躍進します。

東大卒業後、1988年4月に大王製紙に入社。2006年4月からは、子会社であった「名古屋パルプ」の社長を約1年間務める。2007年4月、42歳で大王製紙の第3代社長に就任した。

42歳という若さで「大王製紙」の社長に就任。オーナー企業の創業家出身に加え、取引先との関係改善やブランド戦略などによって、家庭紙事業を黒字転換させたその経営手腕が高く評価されていました。

4年の短い期間で社長を退くことになります。

個人的なカジノの賭け金に充てることを目的に、複数の子会社から2010年4月から2011年9月までの総額で106億円を不正に引き出して流用した事件で、経営者辞任から刑事事件に発展した。

子会社から多額の資金を引き出し、それを横領する形で私的に流用したことで、会社に損害を与えた事件として注目されました。総額で105億円を子会社から引き出し、約50億円近い未返済融資が残っていた。

これらの融資の多くは、各子会社での取締役会の決議や貸借契約書を作成されないまま実施されるなどずさんなものであったが、融資先である井川による使途も不明なままであった。2011年9月16日にこの問題が発覚し、井川意高は代表取締役会長を辞任。創業家一族は経営の主要ポストから外れた。

2011年11月22日に弁護士を通じてマスコミに発した文書で「個人的な金融取引で多大な損失を出した後、たまたま訪れたカジノで儲けたことで、深みにはまったもの」と動機を語った。

2012年10月10日、東京地方裁判所は井川に対して懲役4年の判決を言い渡した。2013年2月28日、東京高等裁判所は控訴を棄却。同年6月26日、最高裁判所は被告の上告を棄却し、懲役4年の刑が確定し、喜連川社会復帰促進センターに収容された。

製紙業界は、王子製紙、日本製紙、大王製紙の3強。レンゴーも3位にあるが、ダンボールがメインとなっている。総資産でみると、王子製紙 2兆537億円と日本製紙 1兆6392億円、大王製紙が8498億とかなり劣っている。

2006年に、業界1位の王子製紙が5位の北越製紙にTOB(株式公開買い付け)を仕掛ける。北越製紙を経営統合することによって、王子製紙の古い設備を廃棄し、北越製紙の新鋭設備に統合することで効率を高めるとともに、業界再編を目指したもの。

これに対して北越製紙が反発し、敵対的買収を断固とし て拒否するという態度に出た。取引先である三菱商事に対して第三者割当増資を行い、三菱商事は北越製紙株の24%を取得する。

そして第四銀行など北越製紙の大株主に王子製紙のTOBに応じないよう協力を求めるとともに、さらに王子製紙に次ぐ業界第2位の日本製紙グループがあらたに北越製紙株 を8.7%取得した。

王子製紙は三井財閥の流れをくむ三井系。北越製紙はどちらかというと三菱に近い。三菱グループが支援してTOBが不成立となる。大王製紙は三和銀行系、財閥系と違い結束力は弱い。

関係のないと思われる業界3位の大王製紙も、圧倒的シェアを取ることになる王子製紙に、市場価格を決められてしまうことを恐れ、王子製紙1強の業界の構成を阻止に動く。TOB破談に井川意高・副社長も一翼を担ったといいます。

スキャンダル後、経営陣と中枢から排除された井川創業一族と対立がおきます。井川一族が大王製紙及び関連会社の株式を北越紀州製紙へ譲渡することで合意し、北越紀州製紙が19.6%(総株主の議決権の数に対する割合は22.2%)を保有する筆頭株主となった。これにより、大王製紙は北越紀州製紙の持分法適用関連会社となり、同族経営も終了した。なお北越紀州製紙に譲渡された関連会社株式は大王製紙が買い戻し21.23%となっている。

井川家から、引き継いだ佐光正義・社長と佐光一派による井川家排除が行われ、新株予約権付社債を発行したことで、井川家から株を譲り受けた北越とも対立があったが、独立するかたちで収まっている。

 

私生活では常識はずれだったと。

愛媛から東京までジェット機で塾通いをさせ、東大卒の社員を家庭教師につけていたなど。高級クラブでの豪遊は、常識はずれの金銭感覚を示すエピソードはきりがありません。

深夜の高級クラブで遊んでいるうちは良かったのかも知れませんが、ギャンブルに誘ったとされる人物も六本木ナイトクラブ経営者で、元俳優が指南役といわれます。一度のマカオ渡航で5億円を超える現金を注ぎ込んだこともあったと。この男は、ITベンチャーのオーナー経営者などからカネを引き出す天才で、彼らに女優・タレント・モデルをあてがい、虚栄心を満足させて、自分のビジネスにも投資させた。ヤマハの創業者に連なる人物も被害にあっているといいます。

 

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