マルカワ「日本で一番ジーパン売る店」の終焉

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かつてジーンズがファッションの定番だった頃があります。「マルカワ」というジーンズ専門店が川崎、蒲田にあり学生時代アルバイトをしていたことあります。

4階のフロア全部デニム売り場という今では、ないですよね。私が主にいたところは、3階のアウトレットと革ジャンの売り場。Schott(ショット)の革ジャンが季節に関係なく展示販売されており、夏はハーレーダビッドソンのTシャツのみ。ジーンズは1000円から2980円の商品がサイズごとに積まれて、接客は裾上げのピン差しくらい。

ミシン作業も少し覚えました。当時は、デニムの裾上げは業務用ミシンでないと針が折れてしまうため、ほとんどが裾上げをします。300円くらい取っていたかな。土日は大量に売れるため大変ですけど、ミシン2台しかありません。どうにもなりませんし、専門のおばさんが、ものすごいスピードでこなしていきます。

メーカーに寄っては最初から、アウトレット商品としてつくっていましたが、リーバイスはめったになくプロバー(正規商品)売り場からの訳あり品でした。BOBSON(ボブソン)という日本のメーカーは、営業さんが2階のプロバー商品を値下げ切っていましたら、買うならボブソンでしたね。股上が深くて、履きやすいし高品質でしたが、ちょっと劣るイメージでした。今でも縮小していますが存続しています。

バイトとしては楽でしょうがなかったけど、人間関係は大変でしたね。フロアごとに社員が一人いましたが、ハードロック、ヒッピー、デニムオタク、ロカビリーなど個性的な人達。店長はロカビリーで、すごいリーゼントの人でした。

「ずらかろうぜ!」という閉店の合図、クレームがあっても絶対に頭なんか下げません。グラサンしているときもあったかな。

いい職場だったけど、1年でやめてしまった。高校生だったので進学です。地方の大学に行くような嘘をついてしまいました。

デニム・ジーンズは誰もが持っている定番商品でしたが、ジーンズメイトやライトオン等の競合店が台頭、ユニクロが存在感をあらわして頃から衰退を始めます。リーバイスの復刻ビンテージが数万円もする値段で販売されていましたから、異常な状態だったと思います。普遍的な商品と思っていましたが、殿様商売をしておごっていると、衰退は訪れは、すべてに適用されるようですね。

私も一人暮らしをするようになってからは、洗濯の手間から全く履かなくなって、何年も経過します。

たくさんあったマルカワの店舗も、神奈川県3店鋪、東京2店鋪の5店鋪になっている。座間店、湘南店、藤沢湘南台店など郊外の駐車場のある店舗で営業を継続している。

全盛期には本店のある東京・町田に10店鋪以上あり、自社ビルも多数あったという。今は不動産収入とネット販売で収益も好調のようです。なかなか個性的な社員ばかりの会社でしたが、不動産を手放さかったり、黒字体質のまま縮小経営に移行したり、と堅実な側面は意外です。

長らく町田のランドマーク的存在であった。

マルカワは東京都町田市に本社を置き、ジーンズ専門店「ジーンズショップ マルカワ」を運営する。

1961年から中古ジーンズ販売を開始し、1966年にジーンズ専門店へ転換した。日本におけるジーンズショップの草分け的な存在であり、老舗ジーンズショップとして町田市周辺で長く親しまれてきた。

1975年、町田駅前に「町田本店」を開店した。1980年、町田本店を地上5階・地下1階建てのビルへ改築。町田駅前の象徴的な存在となった。

最盛期には町田駅周辺で10店舗を展開した。JR町田駅前の町田駅前通り沿いの画材店「世界堂」町田店(ドン・キホーテ町田店向かい、2021年2月21日閉店)が入居していたビルも、20年以上前までは「ジーンズショップ マルカワ」が入居していた自社ビルで、1983年に竣工した建物であった。

また、町田市外への出店も進め、市内外にロードサイド店舗やショッピングモールへのテナント出店を展開して店舗網を拡大した。

1994年には、JR町田駅ターミナル口の南北自由通路に直結する「マルカワ本社ビル店」が開業したが、2005年頃に閉店し「ガレリア町田ビル」となった。2017年には町田駅前の町田壱番街商店街にあった「マルカワ本店別館」が閉店、2018年には町田市内唯一の郊外型店舗だった「マルカワMrMax多摩境店」も閉店。町田市内の店舗は町田本店のみが残存していた。

新型コロナウイルス感染症の影響により、2021年、町田本店の閉店が急遽決定、3月21日をもって閉店、46年の歴史に幕を下ろした。

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