「ブレックファスト・クラブ」(1985) コメディと位置付けられてるけど、哲学と社会心理学で固めたヒューマンドラマ。学生時代に一般教養で選択したときに、授業で見た映画です。教材として使われる映画ですから、図書館で高校生が2時間、話すだけのワンシチュエーションで非常にプロットが優れた青春映画作品です。スクールカーストを初めて描き、のちの作品に影響を与えた。
メタファーという隠喩・比喩表現も言葉もここで初めて聞きました。この映画では先生たちに当てはまります。若者たちの将来に対する姿を表現しています。ピンときませんでしたが、そうなんですね。
スクールカーストの各層の代表者を一室に集めて9時間拘束。終わる頃には一段階大人に成長しているという物語です。最初はお互い初対面同士でカーストや価値観の違いでいざこざが絶えなかったけど、最後にはお互いの悩みを打ち明けてその日その場所限りの絆が紡がれていく。
教室から出れば、それぞれのコミュニティーに戻っていきます。「月曜に会ったらどうする?」。
ジョン・ヒューズ「フェリスはある朝突然に」「ブレックファスト・クラブ」
ジョン・ワイルデン・ヒューズ・ジュニア(John Wilden Hughes Jr.1950年2月18日 – 2009年8月6日)アメリカの映画監督。ナショナル・ランプーン誌にユーモラスなエッセイやストーリーを寄稿した後、1980年代から1990年代にかけて最も成功した実写コメディ映画の脚本、製作、時には監督を務めた。
作品のほとんどは、シカゴ都市圏を舞台にしている。彼は、マジックリアリズムと郊外のティーンエイジャーの生活を率直に描いた青春コメディ映画で最もよく知られている。
『スパイダーマン:ホームカミング』(2017)にも影響を。
ジョン・ヒューズが多くのフィルムメーカーたちから崇拝され、こよなく愛されている。
本作に抜擢されたジョン・ワッツ監督は、『クラウン』、『COP CAR コップ・カー』と、子どもの世界に着目した作品を撮った監督である。ワッツ監督は「学園青春もの」としての魅力を高めるべく、彼が「学園映画のマスター」と呼ぶジョン・ヒューズ監督が撮った80年代の優れた青春映画を出演者たちに見せて、意思統一を図ったという。
ジョン・ヒューズ作品には裏のテーマがある。それは、異なる価値観を持って断絶された大人と子どもの関係性を描き、大人の汚なさや弱さに失望しながらも、子どもの側が勇気を持って、大人の考えを理解しようと歩み寄るという部分だ。これは、自分自身が大人になって大人と対峙するという、子どもの成長を表している。
『フェリスはある朝突然に』はマシュー・ブロデリックが、学校サボリの天才高校生を演じ、ハメを外しまくる一日を描いた傑作。彼がズル休みがバレることをおそれ住宅地を駆け回る映像が、本作の劇中でそのまま使用されている。スパイダーマンが敵の一味を追いかけるシーン。徹底的なオマージュである。
この作品は『デッドプール』でもパロディーとして引用されているように人気が高い。主人公がカメラに向かい観客に話しかける手法とか、エンドロール後のオマケ映像でデップーがガウン姿でスクリーンに登場し、喋る内容とかが「フェリスはある朝突然に」のパロディになっている。
本作でゼンデイヤが演じている、シニカルな態度をとるわりにはピーター・パーカーにまとわりついて、逐一彼の行動をチェックしている同級生の女の子・ミシェルのエキセントリックなキャラクターは、やはりジョン・ヒューズ監督の『ブレックファスト・クラブ』で、自主的に居残り授業を受けるようなアンニュイな女の子を参考にしている。
アナ・ケンドリック主演「ピッチ・パーフェクト」(2012)では主人公が「ブレックファスト・クラブ」を観る場面があり、これが重要なキーとなる。
さらにスティーヴン・スピルバーグ監督の「レディ・プレイヤー1」でも登場人物がジョン・ヒューズについて熱く語る場面がある。
「フェリスはある朝突然に」こちらも心理学の教材でよく使われる作品です。
他者の気持ちや、他者に起こることは、他者の課題であり、自分の気持ちと自分に起こることは、自分の課題。だから、過去と他人は変えられないが、自分の意識と未来は変えられると「アドラー心理学」は示します。
劇中、ハイスクールの教室の黒板にユング心理学の用語〈夢 Dream〉〈アニマ Anima・アニムス Animus〉〈自我 Ego〉〈元型 Archetype〉などがチョークで書かれている。ジョン・ヒューズ監督は意識的に取り入れているのがわかります。
変容しない構成。大切なことに気が付いて成長したりしない。教訓的なものはない。いたずら者に終止し、一切反省しない。変わるのは周囲の人たち、妹のジーニーであり、親友のキャメロン。
破壊することによって他者に変容をもたらす者=トリックスター。
「ユング心理学」ではトリックスターというワードがあります。普遍的無意識を前提とする分析心理学を創設したC.G.ユング(1875-1961)は、神話・伝説・昔話などの定型的パターンとして表現される人類に共通する普遍的無意識の内容・象徴を『元型(アーキタイプ)』と呼んだ。
『元型』の各種のイメージは、人間の精神機能(思考・感情)を大枠で規定する根源的な作用力を持っており、夢や妄想幻覚、神話・伝承といった形をとって人間の内的世界の活動や行動の動機づけに影響を及ぼしているのである。異性に対して抱く欲求や羨望にも、『アニマ(男性の中の女性像)・アニムス(女性の中の男性像)』の元型が影響しているとされるが、人間のパーソナリティや理想像といったものにも『元型のイメージ・情動・物語性』が関係している。
既存の社会秩序や伝統権威、権力者を風刺して冷笑したり、狡知や策略を用いて人心を惑わしたりするキャラクター(人間・動物)は、神話や昔話に数多く登場するが、C.G.ユングはこういった悪戯者や道化師を『トリックスター(trickstar)』という元型の象徴であると解釈した。
構造主義の文化人類学の研究者として知られるクロード・レヴィ=ストロースは、神話分析の方法論を用いて既成秩序や知の体系を組み替えるトリックスターについて言及している。トリックスターは基本的に『弱さ・無力・のろま・貧しさ』などを表象するが、トリックスターが強力な権力者や支配的秩序に立ち向かう武器は『機知・狡知・策略(計略)・いたずら(秩序の混乱)』である。
文化人類学者のラディンは、北アメリカのインディアンの伝承・物語で、コヨーテやウサギ、ワタリガラスといった比較的弱い動物が、既成の支配権力や社会秩序をひっくり返すトリックスターの役割を果たしていることを発見した。それら以外にも、キツネ、リス、カメ、ネズミ、クモなどがインディアンの伝承の中で社会的権威や秩序構造を転覆するトリックスターとして扱われており、時に社会集団に『火・道具・食料(農業)』をもたらした文化的英雄としてトリックスターが位置づけられていることもある。
トリックスターが支配構造や社会的権威に対抗する手段は、いたずらや悪事、煽動の弁舌、反道徳的な振る舞い、嘘つきなどである。一見すると、トリックスターは反社会的で非倫理的な悪い存在に見えるのだが、トリックスターが『既存の社会秩序・常識的価値観・権力者・権威的風習』などを風刺(軽視)して否定してくれることで、社会は新たな発展や改革のきっかけを得ることができるのである。
トリックスターというのは、社会的弱者であり風変わりな人(変人)であり、身分の低い被差別者であり異端思想の持ち主であるが、社会の中心にある『権力・権威・常識』に様々な計略や悪ふざけを用いて挑戦して、それを破壊して変革しようとする本質を持つ。
トリックスターによって『旧態的な秩序・常識・規範(保守的な権威構造)』が軽快な笑いや批判と共に解体されていくが、トリックスターが果たす象徴的な役割は『既存の社会秩序や権威構造の破壊と再構築』であり、旧来の秩序が破壊された後には、より機能的な新秩序が再構築されていくことになる。
トリックスター(集合的無意識に存在する元型 Archetypeのひとつ)とは神話や伝説の中で活躍するいたずら者で、その狡猾さと行動力において比類ない。善であり悪であり、壊すものであり作り出すものであり(scrap and build)、変幻自在で神出鬼没、全くとらえどころがない。単なるいたずら好きの破壊者で終始することもあれば、時として英雄にも成り得る(例えば人類に火をもたらしたギリシャ神話のプロメテウス)。境界を超えて出没するところにトリックスターの特徴がある。
コメント