マリッサ・メイヤー(Marissa Mayer)は1975年にアメリカのウィスコンシンの裕福な家庭に生まれ、スタンフォード大学を卒業しています。彼女はスタンフォードのコンピューターサイエンス系の出身ですので、おそらく引く手数多だったはずですが、当時18人しかいない、大したことのない会社だったGoogleに、初めての女性エンジニアとして19番目に入社します。
1999年当時20人程度のちっぽけな会社だったGoogleは、2004年に株式公開を果たし、90年代にテック業界の王者だったヤフーの検索シェアを、大きく脅かす巨大な会社に成長していきます。そして2006年、入社後6年で彼女はvice president、つまり副社長に就任します。その後も2012年まで13年間在籍しています。
ヤフーにCEOとして電撃移籍
一方その間、90年代のインターネット黎明期で王者としての地位を完全に確立したように見えたYahooは苦しみながら衰退の道を辿っていました。Yahooは94年に、これまたスタンフォード出身の二人によって創業され、2004年の最盛期には利益が35億ドル、時価総額は1280億ドルの会社にまで成長しました。
その後は徐々に衰退を始めました。Yahooは複数のタイプのプロダクトを開発し、まだそれぞれのビジネスモデルが確立していない頃に、いち早くプロダクトをリリースしてユーザーを独占する。しかし後発の企業がそれぞれの分野でYahooよりも良いプロダクトをリリースしていき、シェアを奪われることになります。
Yahooは抜本的な改革を必要しており、そしてGoogleの副社長だったメリッサ・マイヤーに白羽の矢が立てられました。マイヤーにとってもこの話は渡りに船だったそうです。当時、彼女はラリー・ペイジがCEOを辞任したことをきっかけに社内での発言力を失い始めており、何か新しい挑戦が必要だと感じていた。そうして彼女はかつての巨大なライバルであり、シェアを奪い続けたYahooにCEOとして電撃移籍する。
Yahooにはモバイルのカルチャーは育っていませんでした。facebookで1000人いたモバイルチームはたった60人しかおらず、当時世界中で300億通飛び交っていたYahooメールにはモバイルアプリはなかった。彼女は当時15%程度だった検索のシェアを20%にまで取り戻すという宣言をしました。幹部たちにそれができるかを問い詰め、できなければそれができる他の人を探すと言い放ちました。しかし結局はさらに下降することになります。
マイヤーは、人気があり、長年CBSイブニングニュースのキャスターを務めていたケィティ・クーリックという女性ジャーナリストをYahooの「グローバルアンカー」として迎え入れて、クーリックを前面に押し出した、育児や健康をテーマにした女性向けのコンテンツを作り、Yahooにリンクを貼りました。クーリックは全米の主婦にとても馴染みのあリますが、失敗に終わります。
Yahooをベライゾンに売却
スマホシフトやメディア戦略を打ち立てたり、数多くの買収を行ったりしましたが、2014年の時点ではすでに、株主は会社の売却を求め始めていた。当時、Yahooは370億ドル相当のアリババの株を保有していましたが、Yahoo自体の価値は330億ドルと評価されており、アリババなしではYahooの価値は-40億ドルという数字になってしまい、もはや自力で生き残ることは不可能と見られていました。
Yahoo移籍からその5年がすぎた2017年、ベライゾンに売却される。メリッサは会社には残らず、2300万ドルの退職金を受け取って退社する。
コメント