マクドナルドが仕掛たデフレ戦争 長引く後遺症

社会考察

現在、外的要因で食品の値上りが盛んですが、ようやく物価上昇、デフレからの脱却が聞こえてきました。デフレ経済の中で、競争を仕掛けたのは藤田体制のマクドナルドです。他の誰かが引き金を引いたかも知れませんが、誰も得をしない競争を促進したことには違いありません。マクドナルドが仕掛けたデフレ競争がなかったら?適正価格で推移して、健全な形だったんじゃないの?

1987年、バブル最盛期にマクドナルドがファストフードの低価格競争を仕掛けます。

セット価格390円の「サンキューセット」を打ち出し大人気となります。同年にロッテリアが「サンパチトリオ」を導入して対抗し、競争はファミレス・牛丼など他の外食にまで波及します。この時代マクドナルド以外でも390セット的なものが各所に現れます。

ロッテリアのドリンクはMサイズで、シェーキ(シェイク)も選択可能でした。さらに「テリヤキ」などのメニューを追加させていきます。380セットではなかったですが、人気のリブサンドなども投入して、マクドナルドに対抗させていきます。

今ではマクドナルドの国内対抗馬はモスバーガーですが、この時代はロッテリアが頑張っていました。個人的にはテリヤキバーガーのセットは美味しくて、よく利用しました。

マクドナルドは翌年の1988年に値下げをして対抗します。今思えばバブル崩壊後のデフレにつながる話ですが、バブル最盛期です。何もかも高かった時代ですから、それまで敬遠していた人たちも利用せざる得ない価格設定でした。

価格競争が始まる前は、空前の好景気の価格設定「ビックマックセット800円」です。バブル経済は多くの人に恩恵をもたらしましたが、それでも川下にいる人間にとっては、気軽に食べられる設定ではありません。

1995年、為替が1㌦=80円付近まで円高に触れる。バブル崩壊から立ち直れず、デフレ経済に突入していました。

日本マクドナルドの藤田田氏は、1995年を「マクドナルド強襲の年」と歴史的な低価格戦略に打って出る。デフレ経済で勝ち残るため、強者のランチェスター戦略といわれるもので、価格破壊と消耗戦を仕掛けます。低価格攻勢で市場を圧倒的支配、その後に収益化を図る。

ハンバーガー210円から130円に値下げし、1996年にはハンバーガー80円セールを実施。21日間で5000万個を売り上げる。フィレをフィッシュも100円セールを頻繁に行いました。

1998年には65円にするセール。ライバルはこの価格には対抗できず、ファストフード業界を完全に支配する。マクドナルドに引きづられるように、外食産業全体が低価格競争に晒されます。表面的には、規模が拡大して1997年に29兆円に達します。2021年度の国内外食市場規模(持ち帰り弁当・惣菜専門店等の中食業態含む)は、末端売上高ベースで前年度比5.8%増の27兆412億円ですから、日本の外食産業のピークは1997年。それ以降は緩やかに衰退していきます。

マクドナルドの低価格戦略は、「平日半額キャンペーン」を2002年2月14日で終了します。

平成不況下でのデフレ時代を象徴する言葉として、使っている人は見たことありませんが「デフレバーガー」などの流行語が生まれる。一番影響を受けたのが牛丼業界で、吉野家を始め牛丼並200円台の価格帯に下げざるを得なくなります。

2002年に為替も一時期 1㌦=140円台をつけるなど逆に円安に振れたことや客単価が下がったことから収益が悪化、2002年創業以来初の赤字決算となってしまう。

経営収支を立て直すため、平日半額を辞めます。深刻な客離れを起こし、再び値下げを試みますが、期待以上の客足は戻りません。

価格破壊戦争を引き起こした結果、経営悪化と「ハンバーガーは安物食品である」というイメージを消費者に与えてしまい、ブランドイメージが大きく損なわれた。藤田は戦略失敗による経営責任をとり引退する。藤田商店との関係清算、フランチャイズの見直し、日本マクドナルドは米国マクドナルドの直轄体制となります。

圧倒的シェアと潜在的客層の拡大を呼び込みますが、結果的に失敗といえます。マクドナルドは長期迷走を始めます。日本の外食産業を消耗戦に持ち込み、外食は安いものとイメージを植え付けた悪影響が値上のできない体質をつくったのは、まちがないなく藤田体制のマクドナルドといえます。

マクドナルドに引きづられる形で、ファミレス業界もデフレ競争に巻き込まれていきます。

横川兄弟率いる「すかいらーく」は、三井倶楽部のシェフだった番場善勝が作り上げたオペレーションを抜本から見直し転換を図っていく。バブル崩壊後当時の低迷を打開すべく、高級路線の実験店舗ブランドだった「ガスト」を、低価格の新業態として東京都小平市に1号店を開店した。

ホールでは当時としては珍しいセルフサービスのドリンクバーやワイヤレス型呼び出しベルの導入。キッチンではスーパーキッチンなどで実験中だったコンベアオーブンを導入した。なお、価格や性能などの問題で日本製ではなく、米国のリンカーン社製のものを採用した。

料理の出し方の変更、各ポジションなどのプリンターによる作業開始などの工夫により、より少ない従業員での運営を可能にし、すかいらーくで懸案となっていた高騰する人件費率を抑えるなどして低価格を実現した。店員の服装はジーンズにポロシャツ、缶バッジ、スニーカーというカジュアルなスタイルとなった。

大幅に増えたメニュー数を大胆に絞り込む。客単価800円で利益を実現する。このイノベーションで、マクドナルドなどファストフードに対抗できるレベルなる。

当初は3割程度の業態変更だったという。店舗の使い分けを想定していたが、旧来のすかいらーくを利益が超えたため、総入れ替えの選択をする。2009年10月29日、最後の「すかいらーく」だった川口新郷店(埼玉県川口市)の閉店により、創業時からの主力だったブランドとしての「すかいらーく」店舗はすべて消滅した。

ほかのファミレス企業も低価格業態の開発に注力するようになる。「ガスト化現象」と呼ばれ、外食デフレの潮流を確たるものにした。

1990年代後半に始まった低価格競争は深刻化する。サイゼリアはミラノドリアを値下げ290円にする。牛丼(並盛り)を280円に。松屋、すき家も追随する。リンガーハットも主力のちゃんぽん380円に引き下げると、幸楽苑も200円台のメニュー対抗する。外食産業全体で低価格競争を引き起こし、消耗戦で企業体力を奪っていく。

居酒屋業界でも「つぼ八」のフランチャイズ店運営からワタミやモンテローザが卒業し、財布のひもが固くなった消費者に向けたより手ごろな居酒屋チェーンの展開を始めた。バブル崩壊による都心の地価下落が外食産業の低価格戦略を支えていた。

本来、高付加価値を提供して、競争によって発展する形が望ましいのに、真逆の引き算の時代が20年以上続いている。

 

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