川崎市川崎区の秘境・小田栄 再開発のごたごた

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川崎市川崎区に住んでいますが、小田栄周辺は辺境の地といわれる不便なエリアでした。父の話では、数人の地主、おそらく血縁関係にある一族が、産業道路を挟んで、京浜工業地帯の企業の社宅など提供していたそうです。

行政の力が働き多くの土地を手放したと言っていました。いまでも大きな家などの表札を見ると同じ苗字の名前が、たくさんあるといいます。

現在は多少ですけど、小田栄駅などができ改善されました。再開発に伴い無理やりつくったような駅で、南武線の支線となっています。利用客は少なく平成に誕生したにも関わらず無人駅です。

この付近は、バス路線が充実していますが、朝は超絶混雑している幹線道路のため時間通りの運行は絶対に無理です。場合によっては、満員で何台もやり過ごす必要があります。通学などで川崎駅を利用する場合は、駅まで2㌔くらいですから自転車を利用しているみたいです。

せっかくできた新駅「小田栄駅」を利用すればいいのですが、これが鉄道好きなら知られている関東の秘境と言われるローカル電車です。川崎駅には直接行くことはできません。浜川崎駅までいき鶴見先に乗って鶴見駅に出るか。

南武線の支線で八丁畷駅で、京急に乗り換えるか。尻手駅までいき南武線本線に乗り換え、川崎駅まで行くか。もちろん本数も少なく、利用する人は限られます。

再開発は2000年に終わります。ホームセンターのコーナン、ヨーカドー、高層マンションがいくつかできました。

ヨーカドーは当初は、エスパという名前で開業しました。アップグレードGMS(ゼネラルマーチャンダイズストア)」として開発・展開していた業態です。モールほどの大きさはありませんが、大型の店舗です。

ロフト、フランフラン、西武・そごうなど買収していましたので、GMSに合わせたブランドとして、テナントのように構えていましたが、うまくいかなかったようで、すぐに無くなります。エスパという名前も消滅して、ヨーカドー川崎店として営業しています。

ヨーカドー鶴見店と川崎店は、2018年に「ヒューリック」という、みずほ銀行系の不増産開発企業に権利を譲渡しています。ヨーカドー鶴見店は施設を改装してLICOPA(リコパ)鶴見としてリニューアルしていますので、改装などのタイミングで、ヨーカドーの看板をおろして、テナントの一つになるかも知れません。

Google street View

ヨーカドー川崎店の並びにホームセンター「コーナン」ができます。ここは、県立・川崎南高校がありました。

様々な理由で閉校が決まったと思いますが、地元としては意外でしたし「なんで?」と感じた人が多かったと思います。川崎区には県立・大師高校があります。こちらのほうが歴史が浅く、できた当初から子供が減少するための調節校といわれてました。老人ホームに転用できる作りで、場所も産業道路を超えて(産業道路を超えると工業地帯)、学び舎としてはふさわしくありません。

廃校にするなら大師高校じゃないの?と疑問ですが、川崎大師付近の子供の数は増加しています。小松製作所などの跡地に大型マンションができ、川崎市の子供の助成もあって近隣から流入しました。大師線沿線にある、東門前小学校の生徒数は800人を超えています。

ただ子供の数だけだと、この小田栄付近の渡田小学校なども800人を超えていますので、理由にはなりません。全国的には少子化ですが、川崎区は流入人口が途切れなかったため、学校を統廃合するほどではなかったと。むしろ政治的な理由と強く働いたと思われます。

川崎南高校が取り壊される段階になって、周辺住民の住民運動が盛んになり、マスコミなどでも取り上げられます。TBSの「噂の東京マガジン」のコーナー「噂の現場」でも扱われと思います。

廃校の理由がはっきりせず、文化的拠点の提案も拒否、商業施設への再開発ありきの川崎市に、抗議活動は必然ですが、裁判所は工事差し止め、抗議活動を認めませんでした。建物の耐震性、アスベストの問題、土壌汚染などが理由がありますが、再開発ありきですから、でっちあげの可能性もあります。

県立高校ですから土地の所有は川崎市にはありません、それを半ば強引に開発業者・ダイヤモンドリアリティや中央三井信託、都市再生機構に売却します。解体に関わったアスベスト処理業者はいい加減で、撒き散らしたにも関わらず、川崎市は黙認して再開発を推し進めました。

何かを隠したかったの?

川崎南高校に秘密はあるとは思えませんけどね。戦時中の生物兵器の原料を地下に隠していた?なんてオカルト的都市伝説が無きにしも非ずですが、たくましい想像力です。

制服が明るい茶色で「ゴキブリ」何て呼ばれていた学校です。偏差値も低く、大学進学率はゼロに近かったはずです。ちなみ代表的な卒業生は彼女です。大師付近から通っていたそうです。

子供の頃、小田栄のあたりには、サウナ店が数店密集しているところがありました。労働者のための場所でしたが、多分ここで仮眠を取って、また仕事に行くのか?夜勤明けで家に帰らず、寝てるのか?定かではありませんが、私にとっては、初サウナの場所でした。祖父が60歳すぎて取得した免許で、危なっかしい運転で行った記憶が蘇ります。

 

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