勘坂康弘「焼肉酒家えびす」食中毒5人が犠牲

人物

「焼肉酒家えびす」の集団食中毒事件で店を運営していたフーズ・フォーラスが破産手続きに移行したことがわかりました。関係した経営者たちは、司法に裁かれることなく不起訴になっている。

この事件は金沢市に本社を置くフーズ・フォーラスが運営する焼肉酒家えびすで2011年4月、富山や福井など4県の店舗でユッケを食べた子供を含む5人が死亡、約180人が食中毒の症状を訴えたものです。  

東京商工リサーチによりますとフーズ・フォーラスは営業継続が困難となり、2012年2月に金沢地裁に特別精算を申請していました。しかし債権者との協定成立の見通しが立たず、申請から11年以上経て破産手続きに移行したということです。

債権者はおよそ300人、特別精算申請時の負債総額は17億7800万円でした。

焼肉酒家えびすをめぐっては2020年10月、業務上過失致死傷の疑いで書類送検されていたフーズ・フォーラスの元社長ら2人について富山地検が不起訴とし、捜査が終結していました。

一方でフーズ・フォーラスは被害者に対して優先的に弁済するため、特別精算による債権放棄や被害者優先の返済計画の承認を得るという方法を取っていました。

2011年の事件です。富山の企業ですが、神奈川県・湘南台にでき、実家からも近かったため利用した記憶があります。焼肉激戦区藤沢町田線(国道467号)です、地方から腕試しとして出店したのでしょうか。すぐに事件が起き、閉店してしまい、今ではファミレス・ガストになっています。

黒を基調にしたお洒落なお店、接客も独特、何よりも激安。父母は訝しがりましたが、味はさほどで、ボリューム重視。生ユッケは頼みませんでしたが。

独特な接客で印象に残っています。「従業員のお客様とのアイコンタクト」というもの。席に来るたびに、目と目を合わせて、笑顔を作り首を傾けながらのスマイル、数秒キープする。女の子だと可愛いけど、男性の店員さんも。

好感は持てますが、1度でいいかな。アルバイトも大変だな、という感想でした。地方から激戦区に出店して、差別化を図るために気合が入っていたのかも知れません。学生が多いエリアですから、接客もお客さんも若い子が多かったと思います。

食中毒事件、これを契機に生ユッケ、レバ刺しが一切禁止されます。

2011年4月21日以降、「焼肉酒家えびす」の富山・福井・神奈川の店でユッケなどを食べた客181人(5月15日時点)が腸管出血性大腸菌O-111による食中毒になり、5人が死亡、24人が重症となった。

1996年に発生した大阪堺市の「かいわれ大根O-157事件」で児童3人がなくなる事件が発生しており、食品衛生法上の知識と対策が周知されていた。

5人の妊婦、子供、老人(6歳男児2名、14歳男子、43歳女性、70歳女性)体力的に弱い人が回復できずに亡くなっている。

社長の逆ギレ会見、感情が激しい人物らしく、納品業者に責任転換、厚生労働省への批判、最終的には土下座。野心を抱いて競争に望んでいた経営者です、少し成功して、更に上を目指していたと思いますが、躓いてしまい、焦燥と再起に望みをのこしたい思いが交差しているのでしょうか?それにしても強烈な経営者でした。

勘坂 康弘(かんざか やすひろ)

富山県高岡市野村生まれ、金沢経済大学(現・金沢星稜大学)経済学部卒業。

大学時代は金沢のディスコで黒服のアルバイトを経験。卒業後は高岡市内の多田薬品工業に就職するも僅か2年で退職。半年間上京し、その際に上場会社の外食チェーンに育て上げる事を目指して焼肉チェーン店を起業することを決意。その後、郷里で工員の派遣社員として2年半働き、起業資金1,000万円を貯蓄。

1997年、高岡市大野地内に焼き肉店、「焼肉酒家えびす」を開店、翌年にはその運営会社の「有限会社フーズフォーラス」を設立した。その後勘坂は焼き肉店を北陸地方や神奈川県にチェーン展開、『日本一の伝説となるレストランチェーンの実現』との経営理念を掲げるとともに、経営する焼肉店については「2020年度までに300店舗にしたい」と強気な姿勢を示していた。

店舗施設は、福島県郡山市に本社を置くガソリンスタンド経営会社のスタンドサービスに全20店が売却され、同社観光事業部が運営する焼肉店チェーン「ヴイ・ブリアン(V.brian)」として営業開始したが、程なく廃業している。

 

 

人物
スポンサーリンク
スポンサーリンク
スポンサーリンク

コメント

タイトルとURLをコピーしました