2023年4月12日、横浜市にある指定暴力団稲川会の施設「稲川会館」に、六代目山口組・髙山清司・若頭、住吉会・小川修司・会長、稲川会・内堀和也・会長が食事会を開いた。今回の会合は、山口組が分裂して7年が経過、年内にも終焉するのではないかとの見方も。分裂状態終息の足固めと推測されます。
この「ヤクザサミット」とよばれるトップ会談は、2016年9月29日にも行われている。この会合では、六代目山口組・司忍・組長、住吉会・関功会長(当時)、稲川会・清田次郎会長(当時)の3人が初会合を開いた。
この時は、山口組は神戸と分裂した翌年、それに伴い、住吉会には神戸と近い派閥もあり大規模な抗争に発展する可能性もありました。敵対していたと思われていただけに、会合は驚きを持って受け止められました。
ヤクザサミット事態は和やかに行われたようですが、六代目山口組・髙山清司・若頭のしたたかさが緊張を走らせています。
11日後の4月23日に東京・新宿区の寺院で、関東の指定暴力団極東会特別顧問・米澤瑛氏(享年83)の通夜が執りおこなわれました。そこに現れたのが六代目山口組・髙山清司・若頭、中核組織である弘道会の竹内照明・会長、弘道会のナンバー2である野内正博・若頭。
極東会と親睦を深め、さらに東京の「足場を固めたい」と戦略が透けて見えます。わざわざ弘道会のトップ2人まで連れてきて存在感をアピールしたというわけです。
この葬儀には、極東会と友好関係にある住吉会・幸平一家の加藤英幸・総長も出席しています。体調不良が囁かれていただけに、こちらも存在感を示しています。加藤総長は、暴力団がひしめく新宿歌舞伎町などを拠点に、超武闘派組織として恐れられてきました。新宿を支配していると言ってもいい組織です。
極東会をめぐり、山口組と住吉会の勢力争いが再燃するかもしれません。
2022年に極東会のトップだった松山眞一・五代目が死去したばかり。今回は、松山体制を支えてきた重鎮の米澤氏が死去しました。代替わりのときは争いごとが起こることはよくあることです。すでに内紛を推測させる怪文書が週刊誌(フライデー)に取り上げられたりしています。
1994年、連合型組織から直参型組織に移行しましたが、内部には派閥があるといわれ、重しが外れると京都の会津小鉄、東京の国粋会などの例に漏れず、大きな組織の介入を呼ぶ要因になります。
2005年に「東京の地主」と言われた国粋会が山口組に吸収された時のような抗争に発展するとは思えませんが、何らかの衝突があるかもしれません。
2021年のデータで準構成員を含めると25900人。山口組8200人、住吉会4200人、稲川会3200人、暴力団6割を占める。寡占化が進んでいるとはいえ、まだ多くの団体が存在して、3つの組織に吸収される可能性が残っている。
極東会は、東京都新宿区歌舞伎町に本部を置く的屋系指定暴力団。構成員は2022年末の時点で約350人。お祭りで必ずある屋台、露天商の元締め的存在です。警察の指導で、暴力団との関係がある露店を拒む寺や自治体が増えてきており、指定暴力団にされている極東会は数を減らしています。
他の博徒組織、いわゆるヤクザとはかなり毛色が違いがあるといわれますが、格闘家・瓜田純士さんも新宿の極東会の組織に入っていたといいます。
YouTubeなどで公開している話では、新宿などの繁華街では、博徒、的屋など大差はなく、やっていることはヤクザそのもののようです。
過去には山口組とも抗争をしています。
1989年「みちのく抗争」では山口組は葬儀参列の名目に900人の応援部隊を山形市に派遣をして世間を脅かせます。1993年の「山極抗争」では全国にある極東会の事務所が一方的に攻撃を受けましたが、神戸の山健組本部に拳銃を発射、組員を銃撃しています。
極東会の過激さを物語る有名な動画で「弘前市土手町抗争事件」
1984年10月に梅家一家と極東佐藤会が土手町で白昼の市街戦を起こします。
この後も約一か月にわたって青森、弘前、黒石、五所川原などで報復合戦が行われたことから、市民からは暴力団追放運動が活発し、警察が本格的な取り締まりを行います。同年11月に大館市で手打ち式が行われ、表面的には抗争事件に終止符が打たれました。
北海道、東北は的屋系が多かったが、山口組、稲川会、住吉会へと再編吸収されます。その過程で、青森市に本拠を置く梅家一家の六代目・福井良平と稲川会常任相談役・大山健太郎とは五分兄弟になります。この親戚関係を理由に「梅家一家は博徒になった、もはや的屋ではない」と極東佐藤会・山新組が縄張りを侵食します。
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