ミッキー・ドレクスラー GAPの流星的繁栄と衰退

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いつの頃だったか、GAPが日本で全盛期、アルバイトでも正社員並みの仕事量や判断を求められ、労働環境も違いますよ、と一種のステイタスのようなあるアパレルブランド、とテレビ東京の番組で取り上げられていたことがありました。

米国では低価格ブランド、スーパーで販売している「フルーツ・オブ・パーラー」よりまし、という時期もあったそうですが、日本ではモデルを使ったマーケティングがうまくいったせいか、少しお高く止まっていた時期もあったかと。

全盛期は1000億を売り上げ、百貨店にテナントを展開していましたが、ユニクロ、GU、H&M、ZARAに押され、今では子供服がメインとして生き残りを測っている状況です。一世風靡をしたブランドでも永続的に続くことは難しく、ヨーロッパ、中国からも撤退、日本市場からの撤退は時間の問題といわれます。

Gap「旗艦店」閉店、日本市場からの撤退の観測

米のアパレルブランド・ギャップの日本法人ギャップジャパンが、旗艦店「Gapフラッグシップ銀座」(東京都中央区)を7月31日に閉店する。閉店後は、国内128店舗のうち、国内旗艦店はゼロに。

旗艦店の定義は、多店舗展開している組織流通小売業において中核となるべき店舗、フラッグシップショップとも呼ばれる。海軍などの艦隊において、指揮官や幕僚が乗船する船に司令旗を掲げた船を旗艦と名付けたことに由来する。

対外的なブランドアピールに重点を置いていますので、単なる直営店とは役割が異なる。一般店舗と違い、コンセプトや自社ブランドの訴求に重点が置かれる。日本においては、立地そのものがステータスとなる東京・銀座周辺に多い。

日本からの撤退は時間の問題と噂されているが、2022年に中国事業を売却をしている。2023年に売却に伴う引き継ぎ移行が完了される予定で、それが終わったら日本事業の売却に向けて走り出すか?

中国の電子商取引(EC)大手の宝尊電子商務(バオズン)が、GAPのグレーター・チャイナ地区事業を4000万㌦(約59億円)で買収。中国市場におけるGAP製品の独占的製造、販売権を獲得、契約期間は10年と言われる。

フランスでも撤退。EUから姿を消す。

GAPの現地法人を所有していたヴィルサムは2023年3月に民事再生手続きを申請。英国のスポーツファッション専門店JDの子会社スポディスがGAPフランスを30万ユーロ(約4,500万円、1ユーロ=150円で換算)で買収した。この激安価格は衝撃を持って伝えられる。10年以上低迷しており、今後はEC販売が主戦場になる。

日本の今後は、子供服では、まだ検討しているため完全撤退ということはならないようですが、伊藤忠あたり?かな。フォーエバー21の再上陸を手掛けたアダストリアの可能性も。グローバルワークなどを手掛けているアパレルブランドです。

GAPには「オールドネイビー」「バナナリパブリック」といったブランドもあります。バナナリパブリックは、まだ日本で展開(直営店102店舗)していますが、オールドネイビーは、わずか4年で撤退、閉店しています。

2012年7月、ダイバーシティ東京に出店、海外展開は初めてということで話題を集めました。GAPの低価格ラインとして、ユニクロのGUを脅かす存在として、短期間で53店舗の出店攻勢、しかし結果を出す前に、米での営業不振が影響し、リストラ策として2016年に営業を終了。

GAP全体の業績も芳しくなく苦戦。

過去10年で売上高は横ばい、赤字に陥っているということは、利益が出せてない、低下で販売できていないということです。セールやアウトレットによる値引きが常態してしまう悪循環に陥っていると。

2022年度全体の売上高は、前年度比6%減の156億㌦(約2兆1,000億円)。北米での既存店売上は7%減。40カ国、3,352店舗(直営店2,685店舗)を持つ店舗売上高は、前年度比-6%、総売上高の38%を占めるオンライン売上は前年度比-7%

GAP、オールドネイビー、バナナリパブリックが主要ブランドだが、バナナリパブリックは好調で、純売上高は4億8,200万㌦、前年比24%増、既存店売上27%増。GAPとオールドネイビーは二桁のマイナスとなっている。

GAPを大企業に成長させたのは、中興の祖と言われるミラード・“ミッキー”・S・ドレクスラー。リーバイスの販売店に過ぎなかったGAP、製造小売業(SPA)に転換し、世界一のアパレル企業に育て上げた。

ブロンクスでユダヤ人の両親のもとに1944年生れる。アン・テイラー、ブルーミングデールズ、メイシーズでキャリアを重ね、1970年代半ばには、ニューヨーク州ブルックリンのアブラハム&ストラウスのマーチャンダイジング担当副社長に就任した。

アン・テイラーは女性向けの専門アパレル小売チェーン店、ブルーミングデールズは、36店舗を運営する米百貨店。ブルーミーの愛称で慕われている。メイシーズもNYを代表する百貨店でいずれもユダヤ系資本。

ドレクスラーの手腕により、1990年代の急激な台頭が功績であることは間違いありません。

彼が関与する以前、Gapはプライベートブランドとパブリックブランドを販売する小規模なチェーンでした。製造小売業(SPA)、プライベートブランドに移行、1990年代のポップカルチャーの象徴的な部分となるまで急速に拡大。テレビ広告を利用したマーケティングに成功し、アメリカンスタイルのカジュアルブランドとして確立。

しかし、2002年5月22日、売上不振と膨れ上がった負債、さらに創業のフィッシャー家と衝突した経営スタイルにより、GAP創設者のドナルド・フィッシャーによって突然解雇の発表を余儀なくされた。

ドレクスラーはカリスマと思われていたが、後継CEOとなったポール・プレスラーは、解任から1か月で売上が回復させる。売上不振の原因は、店舗の過剰拡大であったためリストラをおこなう。

ポール・プレスラーは、コストカッターと呼ばれるCEO、経営が傾いていたディズニーを再建させた経験がある。ディズニーは来場者が減少していたにも関わらず、利益を上げることに成功している。GAPにも同じ手法を行い、ディズニー幹部を数名連れてきている。

ドレクスラーは、GAPを創業者から追い出された後、NY拠点に置くアパレル J.Crew(ジェイ・クルー)のCEOに。当時J.Crewは、4000万㌦の赤字企業だった、

ジェナ・ライオンズをデザイナーの抜擢し、新しい商品構成によって、ファストファッションのZaraやH&Mよりは高く、モード系のブランドよりも若干安いというポジションを手に入れる。

J.Crewは比較的、安価で低価格のカジュアルブランドでしたが、ドレクスラーのもとでやや高級でビンテージ感の強いアメリカンブランドに再定義を行う。446店舗、2012年度の売上は22億㌦、黒字化に成功。2003年にCEOを就任時には6億9,000万㌦、3倍以上に拡大したことになる。

基本的にはGAPで行った手法と同じですが、就任から15年、2017年6月5日、ドレクスラー氏が最高経営責任者を辞任することが発表された。高級ブランドとしては中途半端な立ち位置で、下からはH&M、ZARA、ユニクロなどのSPAの突き上げ、中国ブランドの台頭など、2015年をピークに下落傾向を止めることができなかった。

アパレル業界では、一度波に乗ると比較的短期間で事業規模を拡大できる。ドレクスラーは、マーケティングなどを駆使し、組織を改革する才能があることは確か。とくにブランディングの再構築では、完璧に近く異議を挟むものはいない。しかし、市場が変化し下降局面になると全く対応することができず、その職を退いている。

2017年、デザイナーとして抜擢し、ともに業績を支えてきたジェナ・ライオンズとともに退任している。ジェナ・ライオンズは「アメリカを着飾る女性」と呼ばれていた。ニューヨーク・タイムズは「ブランドの顔がブランドの凋落の象徴になった」と論評した。

学生時代、就職活動の一環として面接を受けに行った記憶があります。途中から英語のみのやり取り。もちろん連絡はありませんでした。

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