日本でも活躍したレスラーの自伝映画が話題に。
レスラーになった子供が日本ツアー中に亡くなったり、次々と自殺をしたため「呪われた一家」と呼ばれるところにフォーカスが当たっている。
夢や男らしさを押しつけてくる父、いざという時には向き合ってくれない母、追い込まれていく息子たち。家父長制の呪縛、エリックファミリーの悲劇を描いています。
アントニオ猪木やジャイアント馬場とも戦っているため、プロレスファンには記憶にあるかと。もちろん必殺技は「アイアンクロー」。
アメリカでは1960年代後半よりベビーフェイスに転向していたが、日本ではヒールのスタイルを押し通し、1975年7月25日に日大講堂で行われたジャイアント馬場とのテキサス・デスマッチは凄惨な流血戦となった。
試合開始早々の場外乱闘の際、興奮した観客の男にボールペンで刺される事故に遭うが、平然としている様子が映像に残されている。
引退後はプロモーターとして興行に参加していたが、NWA(アメリカ最大の団体)から脱退、最終的にはプロレス・ビジネスから撤退した。その後、長年連れ添った夫人とも離婚し、1997年にがんのため死去。68歳没
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