アメリカはキリスト教社会ですから、映画にも文化的背景として描かれていたり、伝導的性格の映画もあります。地球の滅亡がスペクタクル巨編として描かれた映画などは、キリスト教福音派の持つ終末思想が影響があると思わます。
アメリカの全人口の78%がキリスト教徒です。うち51%がプロテスタントです。カトリック教徒が23%です。今のところ、アメリカはプロテスタントの国と言えます。カトリックは1つしかありませんが、プロテスタントはたくさんの宗派教団によって分かれています。これが複雑で混乱を生じさせます。
南北戦争後、アメリカが近代工業化する過程で、科学的思想が対立を生みます。リベラル派と保守派です。リベラル派は「聖書批評学」を採用し「進化論」を容認します。「聖書批評学」は聖書を客観的にとらえ、批判的に研究する学問です。聖書を文献の一つとして捉えます。
保守派は「聖書無謬説」を採用し「創造論」を唱えます。「聖書無謬説」は聖書は一字一句、誤りはなく、神の言葉と理解する。
「進化論」と「創造論」をめぐり裁判になり、揉めに揉めます。
1920年代には公立の学校で進化論を教えることを禁じる法律が各州で制定されます。以来、このような法律はアメリカ合衆国憲法に反するとして、裁判が繰り返されます。
1987年(ルイジアナ州授業時間均等法裁判)の裁判で、一応の区切りをつけますが、数十年の裁判により、保守派は時代錯誤と見方が広がり、アメリカ社会が急速にリベラルに傾倒します。「公立学校のお祈り」が非合法化、「中絶の合法化」の判決が相次ぎます。
これと並行して社会が荒廃します。セックス革命やドラックの蔓延、治安の悪化します。ベトナム戦争泥沼化や戦争終了後の経済の成長鈍化、失業率増加など顕著化します。
保守派内部では、「科学などを近代的な考えを認めない時代錯誤」という払拭するべく、1940年代から刷新運動がおこります。長老派、会衆派、バプティストといった教派を越えて連帯した人びと、これが「福音派」です。1950年代からは伝道師ビリー・グラハムの活躍もあり、垣根を超えて広がります。
福音派に確固とした条件はありません。宗教的な体験に基づいて精神的な生まれ変わりをする経験「ボーン・アゲイン」の経験をもつことが特徴として挙げられる。現在では、リベラル派に分類される教派やカトリック信者のなかにも福音派が存在します。
保守的な信仰理解を共有する教派横断的集団で、所属する教会や教派、組織によって福音派を規定することは難しい。右派には間違いありませんが、原理主義と同一視する事はできません。リベラル派と中間のような立ち位置です。
「ボーン・アゲイン(Born Again)」とメガチャーチによる拡大。
昔からの歴史と由緒がある教会が立ち行かなくなっている。もう信者が来なくなり、廃れてし待っている。以前は、日曜日には、地元にある古い教会に行く習慣があったが、ほとんど見なくなっている光景に。
「ボーン・アゲイン(Born Again)」「再誕、再生する」この運動が続いてる。
キリスト教は、いろんな宗派の父親と母親のもとに生まれて、子もキリスト教徒になる。その後、自分の意志でもう1回、キリスト教徒として生まれ直すということをする。「バプタイズ」と言う、洗礼を受けたりして。すると、そこのいままで自分たちが育っていた地元の教会には行かなくなる。
そのため地元の小さな教会には、お年寄りばかりになっている。代々行っていた教会に来なくなっている。
地元の教会っていうのは非常に穏健。他の宗教の存在を許す。アメリカというのはもともとバラバラの宗教の人たちが自由を求めてやってきた国なので、他の宗教を尊重していた。
ところが、そのボーン・アゲインしていく人たちは「福音派」と呼ばれる非常に聖書原理主義的な、他の宗教を許さない人になっていく。彼らはいままでの穏健な教会、昔ながらの教会に満足ができなくて、もっと全国的な運動に参加していく。
その受け皿となっているのが「メガ・チャーチ」と呼ばれる巨大な教会。
1万人規模のコンサートホールみたいな教会で、演出も派手にショーアップされている。そこに1万人に単位で訪れる。クレジットカードで寄付をして、週末には、テレビ中継され参加できる仕組みになっている。教会としては、圧倒的に儲かるし、信者は面白い。
ウォルマートが、地元の小さな商店を蹂躙するかのように、教会でも同じことが起きている。地方の小規模な教会は潰れかけてしまっている
アメリカの福音派と呼ばれる人たちは全体の25%。すごい人数となっている。4人に1人が米国では福音派。1980年にレーガン大統領が「福音派のために政治をする」ということを約束してから、レーガン大統領が所属していた共和党の支持基盤となっている。
キリスト教原理主義の人たちの望むことは、同性婚の反対・違法化。中絶の禁止。そこに共和党が支持基盤となって結びついてしまっている。
2001年、ニューヨークのワールドトレードセンターがテロに遭い、報復のアフガン侵攻が開始されたが、どさくさに紛れて「イラクに大量破壊兵器がある」といいがかりをつける。ブッシュ大統領はその時、2004年の選挙の時にキリスト教福音派の人たちに「同性婚を禁止するから」という条件を出してイラク戦争を呑ませていると言われる。
共和党と結びついているため、キリスト教原理主義の望むことと共和党を支持する企業が望むことで取引が行なわれている形。共和党を指示する企業には、石油資源企業が多く、「地球温暖化」という考えが浸透するのは死活問題である。
そこで、「そんなものはない!」という乱暴な主張を繰り広げている。
米国ではハリケーンと寒波で、たくさんの死者はを出しているのにもかかわらず、大多数を占めるキリスト教福音派は何も行動をしていない。福音派の「地球温暖化」を認識してる人は、この間まで20%以下だった。現在は少し増え32%が認識している。そんな言葉あるということを知っている人が3割ということ、特に何をするわけでもない。
取引をしている共和党に、配慮しているから。政治的な立場が大企業寄りになっているので、大企業、特に石油産業が幅を利かせている。石油産業はエクソンモービルとかコーク・ブラザーズとういう巨大な石油化学工業があるが、そういったところがシンクタンクに資金提供している。
「ケイト」「ヘリテージ」といった石油関連会社が出資しているシンクタンクは、「地球温暖化はない」っていう研究報告をずっと続けています。地球温暖化の原因はCO2、「地球温暖化がある」となると石油産業が規制を受けることなるため。
トランプ大統領もネオコンとは距離があったが、環境保護庁の長官にその環境保護庁を訴えて「CO2による被害はないんだ」という人を指名している。「環境保護は必要ない」っていう人を環境保護庁の長官に。これは笑い話である。
トランプ大統領は、彼らと取引しますから、彼らの求めている約束を履行します。
中絶の違法化、同性婚の違法化。それが福音派の一丁目一番地です。それを実現するためには、最高裁の決定が必要。最高裁というのは9人の判事が投票をすることで決まりますが、トランプ大統領になってから2人、新しく最高裁判事を任命して、トランプ大統領は最高裁を共和党寄りの多数派にするという約束を果たした。
キリスト教原理主義の人たちが望んでいたこと。その望んでいたものをもらったから、だから石油関係、環境保護については目をつぶるっていう取引。信仰に利害関係が絡みまくっています。
キリスト教福音派を扱った映画。最近は直接的に描いていますが、1990~2010年代はブッシュ政権の影響なんでしょうか、間接的なハリウッド的なスペクタクルな描き方だったと思われます。
『魂のゆくえ』(First Reformed)
2017年のアメリカ合衆国のドラマ映画。監督はポール・シュレイダー、出演はイーサン・ホークとアマンダ・サイフリッドなど。自らの信仰心に疑いを抱くようになった牧師の姿を通して現代における信仰者のあり方について問い直した作品である。シュレイダーは本作が自分の人生の集大成的な作品であると述べている。このシュレイダー監督はロバート・デ・ニーロ主演の「タクシードラバー」を監督している。
原題の「First Reformed」は主人公が責任者を務める教会の名前「First Reformed Church」のことであり、日本語字幕では「第一改革派教会」となっている。
ニューヨークの小さな教会であるファースト・リフォームド教会の責任者を務めるエルンスト・トラー牧師は、自身の考えを年報に掲載する記事にまとめている。しかしトラーは書き上がったものに満足することができず、それを破り捨ててしまう。トラーは従軍牧師としても活動していたが、息子のジョセフの戦死をきっかけに活動から退くことになる。ジョセフに入隊を勧めたのはトラー自身であり、軍隊に送り出した以上、そうなる可能性も十分に覚悟していたとは言え、トラーの苦悶と自責の念は極めて強い。
そんな折、トラーはメアリーと出会う。メアリーはトラーに夫のマイケルと面談するように頼み込む。マイケルは極端な環境保護論者であり、メアリーに中絶を勧めてくるのだという。トラーがその理由を問い質したところ、マイケルは「この世界は気候変動によって過酷なものになってしまい、もう元には戻れないでしょう。そんな世界に子供を産み落としたくないのです」と答える。
メアリーは夫のものと思われる即席爆弾を車庫で発見し、マイケルの留守中にトラーに見せる。トラーは警察に通報はせずに、自分が持ち帰って処分しようと話す。
やがてマイケルから「公園の入り口に来て欲しい」と連絡が入る。待ち合わせ場所の公園に向かったトラーは、そこでショットガンで自殺したマイケルの遺体を発見する。マイケルの遺書に従い、彼の遺骨はゴミの最終処分場に散骨されることとなり、聖歌隊が環境破壊を糾弾する歌を歌う中、メアリーが夫の遺灰を池に撒く。
その頃、教会では設立250周年を祝う式典の準備が進んでいた。その式典には市長と知事をはじめとする地元の名士たちが多数参列する予定である。その中には教会の大口支援者であるエドワード・バルクの名前もある。バルクは環境汚染で問題視されている大企業の経営者で、アバンダント・ライフ(豊かな生命)教会というメガチャーチを経由して教会を後援している。ある日、バルクに引き合わされたトラーは気候変動についてどう思うかとバルクに尋ねる。責められていると感じたバルクはマイケルを救えなかったトラーを責めてお茶を濁したが、トラーは気候変動こそキリスト教徒が直視すべき問題ではないかと思うようになる。
マイケルと面談したのは僅かな時間だったにも拘わらず、彼の思想はトラーの信仰及び価値観を大きく変えるまでに至る。胃がんであると診断されたトラーは、マイケルが果たせなかった自爆テロを自らの手で引き起こそうとして、250周年式典に自爆ベストを着て行こうとするが、メアリーが出席しているのを見てそれを脱ぎ、有刺鉄線を我が身に巻き付けて「自虐」する。そして洗剤を飲んで自殺を図ろうとするが、そこにメアリーが現れ、かねてより想いを寄せ合っていた2人は強く抱き合ってキスをする。
『ある少年の告白』(Boy Erased)
2018年のアメリカ合衆国の青春映画。監督はジョエル・エドガートン、出演はルーカス・ヘッジズ、ニコール・キッドマン、ラッセル・クロウなど。 実際に存在する、同性愛者の少年少女を「矯正」させる「救済プログラム」を題材に、ゲイの少年と信心深いキリスト教徒の両親の衝突と苦悩を描いた社会派ドラマである。 原作はガラルド・コンリーの回顧録『Boy Erased: A Memoir』。
小さな町でバプティストとして育った19歳の青年ジャレッド・エモンズはゲイであることで両親と衝突し、家から出されてしまう。そこで、教会が支持する同性愛者の転換プログラムに参加することを余儀なくされる。ジャレッドはプログラムのセラピストと再び衝突してしまう。
ジョエル・エドガートン監督自身、実は昔牧師さんになろうとしていた人。改革派教会というカルヴァン派の人で。という映画が『魂のゆくえ』なんですけど、もう1本の方も時間がないのでパッと行きますと……『ある少年の告白』というのはこれ、福音派の人たちが行っているゲイの矯正セラピーについての話。
ニコラス・ケイジ主演の「ノウウイング」2009年
ブルース・ウィリス主演「アルマゲドン」1998年
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