翌日、容疑をかけられたローランドが勾留されていた裁判所の前には、白人が2000人ほどの群衆となっていた。これに対抗して集まった黒人は50人ほど。銃撃戦が始まり、双方合わせて12人が死亡する。
ぶちギレした白人たちは、無差別に殺害、破壊を繰り返します。
最終的にはグリーンウッド地区の35区画以上が破壊され、800人以上が病院に搬送、6,000人以上の黒人が家や商店から連れ出された。数日間にわたり拘束され、オクラホマ州兵が事態を収めた。
これだけ大きな虐殺事件だが、
残った黒人と白人の住人たちは、沈黙し、事件について語られることはなかった。タルサ市、オクラホマ州、アメリカ合衆国の公式歴史にも記録されることはなかった。
虐殺から75年経った1996年、オクラホマ州政府は「タルサ人種暴動調査委員会」の設立。委員会は残された記録や生存者の証言を集め、新たな聞き取り調査を元に報告書を作成した。ようやく、2001年にタルサ市と白人暴徒が共謀して、黒人地区を破壊したと認める。
第二次大戦の前の事柄ゆえに、黒人の人権意識はまだ芽生えてないことから、この事件が取り上げられることは少ない。
むしろ類似性がある34年後におきた「エメット・ティルの口笛殺害事件」が大きく扱われる。
これは、14歳の黒人少年・ティルが、北部のシカゴからミシシッピ州デルタ地区の親類を尋ねていたときに起こる。立ち寄った食品雑貨店店主、ロイ・ブライアントの妻キャロライン・ブライアント(21歳)に口笛を吹いたと因縁をつけられる。
ティルは親類の家から連れ出され、リンチされたうえ、頭部を拳銃で撃ち抜かれる。死体は川に捨てられ、3日後に発見された。裁判では無罪となり、公民権運動が拡大する一因といわれる事件。
よく映画やドラマに描かれている。
北部の黒人の若者が南部に訪れ、口笛を吹いたり、ジェスチャーを挑発と受け止めて、事件に発展する描きかた、フレンドリーな振る舞いも黒人が白人に行うと侮辱として受け止められて、命まで奪う自体に発展してしまう。
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