ちょっとしたヤクザにまつわる話題ですが、
東京には稲川会・碑文谷一家という老舗組織が存在しています。
その組が入るビルの入口、掲げられている掲示場のようなに書かれていた告知。縄張りである東京・品川区、大田区、世田谷区、目黒区で素人を使った強盗をしたら容赦しないという意味合いのものかと。
渋谷区が見当たりませんが、道玄坂のホテル街などは、国粋会から山口組系になったの落合金町連合、住吉会系石井会が縄張りをわけあっている。といわれてきたが現在はわかりません。
義憤文に当たるかもしれませんが、まぁ、これはお寺が門の前に説法的なことを書いてあるのと同じなのかと。
もちろん、これは社会を驚かせている関東連続強盗事件を指し、素人を募り、資産を持っている老人に危害を加えることに対して憤りを表現しているのかと。
本物を謳う人たちにとっては、歯がゆさとともに、縄張の治安を乱されるのなら、暴力的行動も羨わないという姿勢は、古風な任侠としては、賛美もわくかもしれません(本当ならね)
ただ、これがすぐに片付けられたということです。
東京・碑文谷一家の縄張りから、多摩川をわたると神奈川県川崎市となります。ここも稲川会の縄張りで山川一家を中心に存在しています。
元々、山川一家をつくった山川修身(やまかわおさみ)は、蒲田の愚連隊でした。それが川崎に進出し勢力拡大に成功、稲川会の傘下として組を興します。それまでの川崎は日本国粋会の流れをくむ二率会、小金井一家が幅を利かせていたかと。
最近、この川崎の山川一家を中心とする稲川会系組織が、オレオレ詐欺に直接関わっているのではないか?という事が言われています。詐欺事件では暴力団は間接的といわれていました。
特殊詐欺容疑で稲川会系組員逮捕 住吉会系組員と協力
指定暴力団住吉会系組員らの特殊詐欺グループと協力し、高齢者から現金などをだまし取ったとして、警視庁暴力団対策課は31日までに、詐欺と窃盗の疑いで、いずれも指定暴力団稲川会系組員の玉川蓮(23)=住居不詳、鈴木心(23)=横浜市鶴見区本町通=両容疑者を逮捕した。
同課は認否を明らかにしていない。
同課によると、玉川容疑者は特殊詐欺の詐取金を受け取る「受け子」グループのトップ、鈴木容疑者は受け子らを集める勧誘役だった。
玉川容疑者は交友のあった住吉会系組員、宮沢幸矢被告(24)=詐欺罪などで公判中=が運営する「かけ子」グループの依頼を受け、受け子の仕事を請け負ったとみられる。
宮沢被告は自身の配下にも受け子グループを抱えていたが、同課はメンバーの逮捕で自身の関与が発覚することを恐れ、玉川容疑者に仕事を「外注」した可能性があるとみて調べる。2024/10/31
東京の住吉会が「かけ子」、神奈川県の稲川会が「うけ子」と分業したようです。稲川会側の取り分が4割だったという。住吉会と稲川会は川崎を挟んで、抗争を繰り広げている組織。この分業は少し驚き。
もちろん碑文谷一家もヤクザですから、ろくな事はしていません。
覚醒剤密売が横行の東京・蒲田一帯を差配か、稲川会系組幹部ら3人逮捕 5億円が資金源に
東京・蒲田地区で横行する覚醒剤密売を巡り、警視庁薬物銃器対策課は麻薬特例法違反(覚醒剤としての譲渡・譲受)の疑いで指定暴力団稲川会系組幹部、野武宏充(ひろみち)被告(48)=大田区西蒲田、覚醒剤取締法違反罪で起訴=、稲川会系組員、吉原真樹(まさき)被告(54)=品川区西五反田、同=ら3人を再逮捕した。
蒲田地区では平成21年ごろから覚醒剤の密売が横行。警視庁は末端の密売人を摘発するなどして捜査を重ね、暴力団組織を背景に売買を差配してきたとみられる野武容疑者ら上位者の逮捕に踏み切った。
同課は覚醒剤の売り上げとして、少なくとも月に約300万円、これまでに5億円以上が暴力団の資金源になったとみて、実態解明を進める。
再逮捕容疑は昨年9月15日、品川区の吉原容疑者の自宅で40代の男に覚醒剤のようなもの0・2グラムを売るなどしたとしている。同課は3人の認否を明らかにしていない。
「野武容疑者は、JR蒲田駅(東京都大田区)周辺を拠点にし路上などで覚醒剤を売っていたようです。同地区で密売が横行し始めたのは’09年ごろから。野武容疑者らは15年間で約5億4000万円も売り上げていたとみられます。2024/9/26
最近の碑文谷一家の印象は、薬物関連の話題が多いかもしれません。
歴史は古く、幕末の侠客、四文安太郎(伊東安太郎)により結成、1959年に稲川会傘下となった。
フランスの映画監督ジャン=ピエール・リモザンは、十代目碑文谷一家若頭熊谷組組長の熊谷正敏に密着して、ドキュメンタリー映画『Young Yakuza』を制作した。
この熊谷正敏(現在は渉外委員長・東京ブロック統括長、十一代目碑文谷一家総長・熊谷組組長)は、過去、稲川会の分裂になりかける判断ミスをしてしまいます。
2006年、持病の悪化により、臨終期が迫る三代目会長・稲川裕紘の遺言に忠実に従い、稲川会・四代目に実子を、会長の遺言に筋を通し担いだ。
担いだのは稲川英希、稲川裕紘の長男。
2006年7月19日、京葉七熊一家五代目総長・角田吉男を稲川会四代目とする継承式が横浜市の稲川会系組事務所で行われた。同じ頃、静岡県熱海市の稲川会本家において、稲川英希に継承する儀式を執り行った。
しかし、祖父であり稲川会の創設者でもある稲川会・総裁・稲川聖城が角田側の式に臨席したことも判り、角田吉男と直接話し合い、角田四代目体制での一本化に合意し、分裂の危機を回避した。
稲川会・四代目会長・角田吉男に決定後、自らの意思により三階級下の代表理事にまで降格した。
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