イラン・イラク戦争でアメリカは、イラクに武器を供与していた。
石油利権維持のためイラクは借金まみれ、返す当てがない。石油で返すしかないが、サウジアラビアなどとは生産量が違う。
他の産油国は価格を下げて大量に売りたい。アラブ諸国、OPECも仕方がないということで価格を上げた。クウェートは「知らねーよ!」。イラクの借金のために、同調することを拒否する。
そこで言いがかりをつけた。「盗んでいる。油田は地下でつながっている」。イギリスが勝手に国境線を引き、もともとクウェートはイラクのものだ!
当初、アメリカは「どうぞ勝手にやってください。関与しない」という姿勢だった。サダム・フセインもアメリカの軍事的行動を想定してこなかった。敵はイランのはず。とたかを括っていたという。
戦争でお金儲けをしたい。ハイテク兵器を試したい。在庫を放出して軍需品を受注したい。軍産複合体はうるおい、ネオコン勢力は石油利権を盤石にできる。
アメリカは伝統的に、世論は戦争に関心がない。外国がどうなろうと知ったことじゃないモンロー主義。日本も真珠湾攻撃、ベトナムもトンキン湾事件と参戦する理由が必要だった。
今回は「やられたからやり返す」というシナリオは書けず、最初は「正義は我にあり、イラクの攻撃はけしからん」と世論操作をしていたが、大規模な戦争をする世論にならなかった。
そこで広告代理店が世論を誘導するために動いた事件と言われる。
広告代理店がでっち上げ、アメリカの世論を軍事行動を促した。ベトナムで敗北したことから、イラクがクウェートに侵攻したあとも大規模な軍事行動には踏み切れずにいた。
後にABC記者のジョン・マーティンによって暴かれる。
侵攻から2カ月後に米下院の公聴会に出席した15歳のクウェート人少女ナイラが、奇跡的にクウェートからの脱出に成功し、米国勢に逃れてきた体験を語ったが、この少女は実は在米クウェート大使の娘で、侵攻前から米国勢に在住でクウェートなど行っていなかったことがのちに判明した。
クウェート政府は米国の一流広告会社に依頼して、フセインの悪虐性を米国内と世界に向かってアピールすることを画策したのである。
H&K(ヒル・アンド・ノウルトン)という広告代理店が、請負いキャンペーンを張った。
米国内で「アメリカ世論操作を狙った、外国資本によるかつてない最大のキャンペーン」を行い、他の20以上の米国の広報会社を率いた。 H&K社は、クウェート政府がほぼ全面的に資金提供した偽装草の根市民運動、団体自由クウェートのための市民運動が払う1,080万ドルで受注した。
イラク軍兵士がクウェートにおいて、新生児を死に至らしめていると涙ながらに述べたこの証言により、国際的に反イラク感情とイラクへの批判が高まり、湾岸戦争の引き金ともなった。
しかし後に「ナイラ」なる女性は存在せず、クウェート・アメリカ政府の意を受けた反イラク扇動キャンペーンの一環であったことが判明し、今ではプロパガンダの一例としてしばしば採り上げられる。
「ナイラ」なる女性(当時15歳)が1990年10月10日に非政府組織トム・ラントス人権委員会にて行った。イラクによるクウェート侵攻後、「イラク軍兵士がクウェートの病院から保育器に入った新生児を取り出して放置し、死に至らしめた」、その経緯を涙ながらに語った事で知られる。
国際的な反イラク感情とイラクへの批判が高まって、無関係に近かったアメリカを中心にイラクへの攻撃支持世論が喚起されることとなる。
「証言」は裏付けの取れたものと国際的に認識されていたが、クウェート解放以後マスコミが同国内に入り取材が許された結果、虚偽の「証言」であった事が発覚した。
また、1992年に「ナイラ」なる女性は苗字がアッ=サバーハであり、当時クウェート駐米大使であったサウード・アン=ナーセル・アッ=サバーハの娘だった事実が明らかになった。
その上、証言自体がイラクから攻撃を受けて劣勢だったクウェート政府とH&Kによる自由クウェートのための市民運動の反イラク国際世論扇動のために行った広報キャンペーンの一環であったことが判明した。
アメリカ合衆国大統領、上院議員や、各国のマスメディアに「証言」は幾度となく引用され、反イラク世論喚起どころか世論の高まりを受けたアメリカ参戦で敵対国イラク壊滅などクウェート政府によるプロパガンダとして大成功であった。
この「証言」はアメリカ政府が目的としていた湾岸戦争の火付け役となり、「女性や子供の証言」「現地で現場を見た被害者は嘘をつかない」との人々の根強い思い込みを背景に、弱者側が女性又は子供を利用したプロパガンダの例として引用される。
新生児についての証言「イラク軍が爆弾や銃で民衆を襲撃しています。また、全ての病院施設に押し入り、新生児を連れ出しています。生命維持装置は切られています。抵抗したり、クウェート軍や警察と一緒にいる所が見つかれば、拷問を受けかねません。」
イラクによるクウェート侵攻及び占領以後、これに乗じた略奪行為が数多く報じられた。その最中の1990年9月2日、ハビエル・ペレス・デ・クエヤル国連事務総長宛に、モハンマド・A・アブハッサン同クウェート代表から、次のような一通の手紙が届けられた。
クウェートのイラク占領当局による国際法をことごとく踏みにじる行為や、クウェート政府を通じて我々に提供される確固たる情報を踏まえ、我々は史上類を見ない出来事、すなわちクウェートを荒らし、略奪するべく仕掛けられたイラク占領当局の作戦に注意を引くことを願います。
この作戦は実際に家屋や工場、店舗や病院、学校や大学といった教育機関のみならず、国家や自治体、民間機関や個人の所有する財産を含む、クウェート国内の資産を完全に奪い去るものでしかない以上、似たような如何なる出来事と比較したり、正確に説明することは不可能です。クウェートで起こっている事は、その目的に向けた国家による強盗に他なりません。
手紙の中でアブ=ハッサンは「レントゲン装置やスキャナーなど、公私を問わず病院からあらゆる設備が盗まれた」とも述べている。略奪行為については、避難民が「エアコンやコンピュータ、黒板や机の他、保育器や放射線装置までをも狙って、兵士が社屋や学校、病院に押し入った」と再度語ることとなる。
また、ダグラス・ハード英外務大臣も「人目に憚られる方法で略奪や破壊の限りを尽くしている」と総括。いずれにせよ保育器の略奪は、未熟児が放り出されたり、その結果死に至るものであったことから、メディアの注目を集めた。
亡命中のアブドゥル・ワッハーブ・アル=フォーザンクウェート保健大臣は、サウジアラビアタイーフで開かれた記者会見にて「侵攻以後、イラク軍兵士が国内の全病院や医療機関を事実上掌握」、「患者を追い出し病院からハイテク機器や救急車、薬品や血漿を計画的に略奪した」ために22名の未熟児が命を落としたと発言した。
みんな信じてしまった。広告代理店が背後で暗躍し操作していることは、珍しくない。ただ今回は、非常に大規模で軍事行動の流れをつくってしまったことが、倫理的な問題を引き起こした。
アメリカの軍事力を引き出したいクェート政府の市民団体がクライアントだったが、アメリカの軍産複合体は、戦争で利益を上げることができる。果たして関与していなかったのか?
広告業者は軒並み、クウェート侵攻で一儲けしたがった。ほとんどの広告業者は当初、広告で中東危機を訴えようとはしなかった。一方で、通信社を始めとする情報産業が上述の通りクウェート侵攻を報じていた。
HBOが映画『ライブ・フロム・バグダッド 湾岸戦争最前線』を2002年に公開している。真偽を決定しようとした登場人物が少なからずいたものの、結論を出せずに終わっている。なお、エンドロールにおいて、保育器の話は決して実証されていない旨のコメントが添えられている。
自由クウェートのための市民運動は100万ドルでH&Kと契約、キャンペーンを委託した。自由クウェートのための市民運動は、クウェート大使館が設立しタイムズニュース社が執筆を行いワシントンD.C.に本部を置く草の根市民運動を偽装して宣伝活動を行う広報委員会であった。同委員会は大使館舎の一角を占めたものの、大使館からは独立して業務を行った。
ナイラ証言が広く喧伝されると、集会の様子を撮影したH&Kは、全米に約700のテレビ局を擁するメディアリンクへビデオを配給。当日夜、証言の一部がABC及びNBCのニュース番組で放映され、数千万人のアメリカ国民が視聴したという。
また上院議員7名が武力行使を支持する演説の中でナイラ証言を引用している。ブッシュ大統領もその後数週間のうちに少なくとも10回は証言を繰り返した。暴虐の証言は湾岸戦争参戦に対する国民の支持を取り付ける切っ掛けとなった。
H&K(ヒル・アンド・ノウルトン)はその後、2011年に世界3大広告グループのひとつWPPの傘下に入り、主要カンパニーとして活動している。日本最大の広告代理店「電通」の3倍の規模となる巨大代理店です。
現在進行系でロシアがウクライナを侵攻し、情報合戦が繰り広げられています。広告代理店の影は今のところ確認されていませんが、見えないかたちでコミットしているかも知れませんね。そう考えていたほうが自然です。
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