「ハーヴェイ・ミルク」とトゥインキー

本&映画

1977年にハーヴェイ・ミルクはカリフォルニア州サンフランシスコの市政委員に当選した。アメリカで初めてゲイであると公言して選ばれた公職者。彼の功績は同性愛者権利法案だけでなく、犬の糞の放置への罰則や高齢者、民族系住民や労働組合幹部との政治的連帯を作り出した。しかし議員就任1年も経たない翌年1978年、同僚議員ダン・ホワイトによってジョージ・マスコーニ市長と共に射殺されてしまう。この作品はミルクの最後の8年間を描いている。ショーンペンはアカデミー主演男優賞をとり、ジョシュブローリンは、助演にノミネートの秀作です。監督はガス・ヴァン・サント。15年以上もかけただけある素晴らしい歴史的ドラマです。2008年作品。

1984年に製作されたアメリカ合衆国のドキュメンタリー映画があります。 『ハーヴェイ・ミルク』(The Times of Harvey Milk) 1984年に長編ドキュメンタリー部門でアカデミー賞を受賞したのですが、ゲイ関連の映画がそれだけ注目を集めたことに、当時は大きな出来事でした。

自分を抑圧することは、他人を抑圧する。

「彼も僕らの仲間なんだよ」という台詞があります。犯人のダン・ホワイトを同性愛ということを匂わす台詞がありますが、これはこの映画の解釈です。キリスト教社会では、同性愛は罪とされ苦しみます。当人は同性愛者にもかかわらず、同性愛者を差別したり、攻撃したりすることがキリスト教社会には、見られると言われます。

ミルクのメディアを活用した派手な戦いの中で、カトリックの保守は負けていきます。殺害したダン・ホワイトも市政委員です。ミルクと意見対立しますが、論争しても弁のたつミルクに太刀打ちができません。辞職をします。しかし自分の選挙区からの反発に、辞職を撤回を市長から断られ殺害に至ります。この映画では、彼も同性愛者で、身を置くキリスト教保守からの抑圧が原因と解釈されています。

アニタ・ブライアント

映画にも出てきますが、この人は、ミュージシャンです。1950年代から「ペーパー・ローゼズ」を含む4曲がトップ40にランクイン。同性愛に非常に批判的であることで知られ、1977年、性的指向に基づく差別を禁止したフロリダ州マイアミ・デイド郡の条例の撤回を訴えるキャンペーンを行なう。全米に広がる同性愛者の権利運動に反して組織され始めた。

ミルクはこの法案と戦います。同性愛の先生を解雇できる、という法案ですが、メディアを動員し、パレードを行い。討論会で圧倒します。

Anita Bryant's Pie to the Face – www.NBCUniversalArchives.com
会見中にパイを投げつけられる有名な映像。この後、離婚が原因でキリスト教根本主義から見放される。
Twinkie Defense(トゥインキーディフェンス)

楕円のような形の細長いスポンジケーキの真中にクリームが入っているというスナック菓子だ。こちらではどこのスーパーマーケットに行っても棚に並んでいるというしなもの。このお菓子を食べずに育つ子供はいないというぐらいに、幅広く知られ愛好されている。

殺害をしたダン・ホワイトの裁判では、むちゃくちゃな弁護がまかり通る。もともと精神に障害があったホワイトがトゥインキーなどのジャンクフードの食べ過ぎによって、事件当時、判断能力を欠いていたとして争われ、被告弁護人の勝利で5年1ヶ月と9日の投獄生活だけに終わるという軽刑罰におさまることになった。

裁判に立ち会って判決を下した12人の陪審員は市内に住む労働者階級から選ばれていて、自由主義だった市長や同性愛者だったミルク議員に対して、もともと反感や抵抗をもっていたために、刑死刑を掲げて争った検察官の訴えを退けるにいたったとの解釈がされてもいる。

とにかく、二人の尊い命が失われたにもかかわらず、あまりにも信じがたい軽い判決だったので、いまだに”Twinkie Defense”として語られている。ホワイトは1985年に妻の家のガレージで自動車の排気ガス吸引により自殺した。

ホワイト・ナイトの暴動

判決の後、ゲイコミュニティーは後に「ホワイト・ナイトの暴動」として知られるようになる暴動に突入した。評決が聞かれるやいなや、知らせがゲイコミュニティー中を走り、人々の集団が官庁街に向かって速く歩き始め、午後8時までにはかなり多数の暴徒が形成された。1984年制作のドキュメンタリー映画『ハーヴェイ・ミルク』によれば、激怒した群衆は復讐と死罪を要求して警官に叫び始め、その後暴動が始まった。暴徒は多くの警察車両に火をつけ、バスの架線を引き裂いて交通を混乱させ、自動車や商店の窓を破壊し始めた。そして数で劣る警官に対して暴力が振るわれた。多くの暴徒が逮捕されたが、警察署長チャールズ・ゲインは、彼の対応があまりにも弱腰で、率先して生命と財産を守るべきであったときに部下の警官を押しとどめたとして非難された。ゲインは、誰も死亡者が出ず少数が軽傷を負っただけで済んだことを指摘し、自分自身を弁護した。この暴動が元で160人以上の人々が負傷し入院した。

NBCUniversalArchives


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