アジア・ロシア・通貨危機 経営学履修ノート。

経済

19977月よりタイを中心に始まった、アジア各国の急激な通貨下落(減価)現象である。この現象は東アジア、東南アジアの各国経済に大きな悪影響を及ぼした。狭義にはアジア各国通貨の暴落のみをさすが、広義にはこれによって起こった金融危機を含む経済危機を指す。タイ、インドネシア、韓国はその経済に大きな打撃を受けた。マレーシア、フィリピン、香港はある程度の打撃を被った。

中国と台湾は直接の影響はなかったものの、前述の国々と関連して影響を受けた。日本に関しては融資の焦げ付きが多発し、緊縮財政とタイミングが重なった結果、1997年と1998年における金融危機の引き金の一つとなり、19989月の政策金利引下げ、107-8日の円急騰(2日間で20円の急騰)、1023日の長銀国有化、1213日の日債銀国有化へとつながる一連の金融不安の遠因となった。また、新興国における通貨不安はアジア地域に留まらず、1998817日からのロシア財政危機、19991月ブラジル通貨危機など同様の混乱をまねいた。

アジアのほとんどの国はドルと自国通貨の為替レートを固定するドルペッグ制を採用していた。それまではドル安で、比較的通貨の相場は安定していた。また、諸国は固定相場制の中で金利を高めに誘導して利ざやを求める外国資本の流入を促し、資本を蓄積する一方で、輸出需要で経済成長するという成長システムを採用していた。中でもタイはこのパターンの典型的な成長システムであり、慢性的な経常赤字であった。また、アジアの国際分業体制は1992年以降の中国改革開放政策の推進により構造的な変化が生じており、東南アジアに展開していた日系、欧米系企業の多くがより人件費の安い中国への生産シフトを強めていた。1995年以降アメリカの長期景気回復による経常収支赤字下の経済政策として「強いドル政策」が採用され、ドルが高めに推移するようになった。

これに連動して、アジア各国の通貨が上昇(増価)した。これに伴いアジア諸国の輸出は伸び悩み、これらの国々に資本を投じていた投資家らは経済成長の持続可能性に疑問を抱く様になった。そこに目をつけたのがヘッジファンドである。ヘッジファンドは、アジア諸国の経済状況と通貨の評価にズレが生じ、通貨が過大評価され始めていると考えた。過大評価された通貨に空売りを仕掛け、安くなったところで買い戻せば利益が出る。1992年にイギリスで起こしたポンド危機と同じ構図である。かくして、ヘッジファンドが通貨の空売りを仕掛け、買い支える事が出来ないアジア各国の通貨は変動相場制を導入せざるを得ない状況に追い込まれ、通貨価格が急激に下落した。

日本では経済恐慌などの危機は発生しなかったが、深刻な経済的打撃を被った。アジアでも特に著しい経済力を持ち、アジア各国へ工業製品を輸出する産業の多い日本は、大口取引先であるアジアの国々の通貨危機の打撃を正面から受けた。バブル崩壊後、漸く内需主導の回復途上にあった日本経済だが、橋本龍太郎政権の緊縮財政にアジア通貨危機が追い討ちをかけて、1998年には遂に実質マイナス成長に転じた。以後、長く続いた日本のデフレの要因の一つとして、このアジア金融危機を一因に挙げる経済学者も多い。

タイ。1990年代のタイ経済はそれまで年間平均経済成長率9%を記録していたが、1996年に入るとその成長も伸び悩みを見せ始めていた。この年、タイは初めて貿易収支が赤字に転じた。1997514日、15日にヘッジファンドがバーツを売り浴びせる動きが出た。これに対して、タイ中央銀行は通貨引き下げを阻止するため外貨準備を切り崩して買い支え、バーツのオーバーナイト借入れレートを25%3000%に高めるなどの非常手段を用いて対抗した。同年630日には、当時の首相、チャワリット・ヨンチャイユットが通貨切り下げをしない(ヘッジファンドの攻撃に対する勝利宣言)をしたものの、再びヘッジファンドによる空売り攻勢が始まり、同年72日にバーツとドルのペッグ制は終わりを告げ変動相場制に移行した。

それまでの24.5B/$だった為替レートが一気に29B/$台にまで下がった。このため国際通貨基金(IMF)などは同年811日、20日の2回に分けて172億ドルの救済を行った。1998年一月には、最低の56B/$台を記録する。タイ中央銀行が必死に自国通貨を買い支えるべく奮闘しながら果たせなかった様を指して「血塗れのバーツ」とも呼ばれる。信用を失ったバーツの下落は止まらず、為替レートは危機前24.5B/$だったが半年後には50B/$を下回った。

この後、タイ証券取引所(SET)の時価総額指数であるSET指数は357.131997年の最高値は858.97、史上最高値は1994年の1753.73)まで下落し、翌年には危機後最安値である207.31(史上最高値の11.8%)を記録した。それまで対外資金によってファイナンスされていた不動産バブルの崩壊に加え、IMFが融資条件として課した政府支出の削減と利子率の引き上げが、景気後退期における総需要の更なる減少を招いたこともあり、それまで好景気を謳歌していたタイ経済はあっという間に崩壊し、タイでは企業の倒産・リストラが相次ぎ失業者が街に溢れかえった。タイの通貨の変動を受けてバーツ経済圏にある、ミャンマー、ベトナム、ラオス、カンボジアも少なからず打撃を受けた。

フィリピン。1997年のヘッジファンドによるバーツの空売り開始によりフィリピン政府は同年5月にフィリピン中央銀行の公定歩合を1.25%まで上げた。同年の619日には更に2ポイント引き上げた。タイ政府が同年72日にバーツに変動相場制を導入すると逆に、通貨ペソを守るため翌日物金利(overnight rate)15%から24%まで上げた。

香港。通貨香港ドル(以下HK$)をアメリカドルに固定していた(7.8HK$/$)HK$も他のアジア各国と同じく199710月に打撃を受けた。しかし、香港金融管理局は10億ドル以上を投入し、HK$を守り、変動相場制への移行を回避した。香港の株式市場はますます不安定になり、同年1020日から23日までの間にハンセン指数は23%まで下がった。同年8月までに翌日物金利(overnight rate)8%から23%まで上げられた。

香港は単なるドルペッグ制ではなく、カレンシーボード制といい、自国の金融政策を放棄し、香港ドル発行の際には米ドルの裏づけが必要であったためで、香港ドルの大量の売りがあると、香港ドルは米ドルへ交換され、結果的に市中に出回る香港ドルの流通量が少なくなり、翌日物金利が上昇し、金利上昇により、売りが耐えられなくなるためである。

韓国はマクロ経済のファンダメンタルズが十分であったが、一方で金融部門では不良債権を抱えてしまった。過剰な借金は経営判断で大きなミスを招き、経営交代を招いた。起亜自動車の倒産を皮切りに経済状態が悪化。IMFの援助を要請する事態となった。

アジアの市場に異変を感じたムーディーズは、19977月に、韓国の格付けをA1からA3まで落とし、同年の11月には更にBaa2にまで格を落とした事で、既に落ち込んでいた韓国の証券取引市場を更に冷え込ませて、韓国の経済を不振に陥れた。先進国協調の下で、韓国に対する金融支援パッケージが組まれた。

日本も「第二線準備」の一カ国として100億ドルの支援の意向を表明したが、この100億ドルは「準備」のままで終わり、実際には貸していない。ソウル証券取引は、同年117日に4%も落ち込み、翌日には一日の株価変動としては、史上最大の7%の下落を記録した。この後IMFがしっかりとした再建を行うかどうかの不安感も災して、19971124日には更に7.2%落ち込んだ。

そして、同年末に韓国はデフォルト寸前の状況にまで追い込まれた。これによりIMFが韓国の経済に介入し、現代グループなどに対して財閥解体が行われた。韓国では、1997年の経済危機は「朝鮮戦争以来、最大の国難」「IMF危機」と呼ばれている。

マレーシアは1997年までにGDP(国内総生産)の6%にも及ぶ膨大な借金を抱えていた。同年7月にはマレーシアの通貨リンギットがヘッジファンドによる空売りの打撃を受け、同年817日、管理された変動相場制(事実上の固定相場制)から変動相場制へ移行した。1997年始めに1ドル=2.5リンギット程度だったレートが年末には1ドル=5リンギット程度と50%減価した。これを受けS&P(スタンダード・アンド・プアーズ)の国債格付けが下がった。1週間後には、マレーシア最大のメイバンクの格付けが下げられ、同じ日にクアラルンプール証券取引所は1993年以来の最大の856ポイントもの落ち込みを記録した。

同年102日には再びリンギットが下落し、マハティール首相は資産のコントロールを発表した。しかし、マハティール首相が経済建て直しのため道路・鉄道開発、パイプライン計画を発表した同年の暮れには再三のリンギット値下がりがあった。翌年の19989月、リンギットはドルペッグ制へ移行し、1ドル=3.8リンギットとなった。再生計画にも関わらず1998年度は経済が落ち込み、建設業は23.5%、工業は9%、農業は5.9%落ち込み、GDPは実に6.5%下がった。

インドネシア。金融事情も良好で、200億ドル以上の外貨準備があり、更に90億ドル以上の貿易黒字を加え、インドネシアはタイと違い緩やかなインフレーションを見せていたため、1997年には通貨危機に見まわれなかった。更に、インドネシアの企業はドル建てで資金調達をしていたため、ドルが上昇した時も当初は逆にプラスに作用した。しかし、同年の7月にタイがバーツを変動相場制へ移行したとき、インドネシアの通貨局が、ルピアの取引楽(trading band)8%から12%に固定するとルピアは危機に見舞われた。

同年8月にはルピアは変動相場制へ移行するが、これがルピアの値下がりを早めた。ここでIMF230億ドルの支援を約束するが、法人負債がかさんでいることに、ルピアの激しい空売りなどに不安感があり、更に下がり続け、同年9月にはジャカルタ証券取引所が史上最低を記録した。これにより格付け団体ムーディーズはインドネシアの株のグレードを下げた。

1997年の8月に通貨危機が始まったにもかかわらず、インドネシアにおいて11月に通貨危機が激しくなったのはインドネシアの企業が夏期収支報告書を見てから初めて対策をとったからだと言われている。インドネシアの企業は前述の通り、ドル建てで負債を建てていたため、ルピア相場から見て借金が高くなり、更にルピア相場が落ちることを恐れてドルを買い込んだ。通貨危機は国内にインフレーションを起こし、急激な食品価格の上昇とそれに対する暴動を招いた。32年に渡り独裁者としてインドネシアを支配していたスハルト大統領はインドネシア銀行の最高責任者を解任したが、収まらず、結局スハルトは辞職し、ハビビが新しく大統領に就いた。

中国では外国企業の進出が多く、金融システムにも問題があったにもかかわらず、国内全体の預金がほとんど国内口座にあったうえ厳しい規制があったため、あまり影響を受けなかったとされる。とくに海外移入資本はむろんのこと国内資本の自由な移動も規制されている段階であったほか、外国為替(元相場)が事実上のドルペッグであったにも拘らず、為替取引に関する「事前申請制」を採用していた事が大きい。しかし政府発表や統計にも関わらず、GDPと強い相関関係を有する電力需要が急減していたことから、実際には大幅な不況に陥っていたとの観測もある。

中国の経済統計(推計)については、2007年からのリセッションに際しても、電力需要の推移と政府発表のGDPの乖離が大きかったことをウォールストリートジャーナルが指摘しており、中国の統計の信頼性について疑問を呈する向きがおおい。当時、中国がいつ人民元の切り下げを行うかに多大な関心が集まっていたが、とうとう切下げは行われなかった。このとき、中国が切り下げを行えば通貨危機は更に拡大していた可能性もある。

アメリカでは19971027日、アジア経済への不安から、ダウ・ジョーンズ工業平均株価は554ポイント(7.2%)の株価下落を記録した。ニューヨーク証券取引所は短い間ながら取引を停止した。通貨危機は消費者信頼感指数の低下につながった。日本は、2年間にわたり国際機関やG7各国と協調し当初の危機対応において、二国間支援の主導的な役割を果たした。

また、一時的な資金不足を補填する流動性支援のみならずODAを含む日本独自の政策的金融手段を総動員し長期の安定的な資金を供与してアジア各国の実体経済の回復と安定化に対して全力で取り組んだ。中でも、IMF・世銀年次総会において発表された新宮澤構想は、アジア諸国の実体経済回復のための円借款・輸銀融資等による中長期の資金支援を含む合計300億ドル規模の資金支援スキームを用意するものであり、一連の支援策の中でも最大級のものだった。この他にも、日本は、人材育成等環境整備のための専門家派遣、研修員受入等の技術協力や、食糧・医療品等の緊急支援及び人道・医療・保健対策面での無償資金協力も行った。

アジア通貨危機は関連諸国の経済を崩壊あるいは打撃を与えただけでなく、インドネシアのスハルト政権やタイのチャワリット・ヨンチャイユット内閣を失脚させた。のみならず、ジョージ・ソロスらヘッジファンドやIMFを始めとした反欧米感情を招いた。アジア経済に対する不安感を招き、投資対象としての中国の台頭をも生んだ。さらに、ユーロダラーは「質への逃避」を起こし、ことごとくアメリカへ回帰。新興市場への不信感からロシア財政危機、ブラジル危機をも招いた。

また、アジア諸国では外国からの資本導入にあたり、IMFの推進してきた資本移動の自由化の下で、比較的短期の物を導入していた事も、問題拡大に繋がったと指摘されている。経済的に不安が生じた場合に流動性の高い資本が急速に流出し、傷口を広げたとされる。アジアの途上国では高成長を背景に高金利政策を採用していた一方で、90年バブルの崩壊以降米日の政策金利は極めて低利水準にあり、国際金融資本市場から短期資金を融通し、それを国内向けの資金にスワップ(長短金利スワップ)することは、為替変動リスクを考慮したうえでも自国の民族資本による投資よりも有利であったところ、アジア通貨危機の発生により為替リスクの急騰と途上国向け短期金利が高騰したことが、長期資金の急速な枯渇と資金逃避をもたらした。

加えてIMFが融資の条件として景気後退期に緊縮財政や高金利政策を課したことが危機をより深刻なものとしたとの評価もある。東南アジア諸国の経済成長システムが、1990年代のアメリカ経済成長システムと著しく似通っていたのが、根本的な危機の要因であるとの評価もある。同じ投資過熱を起こす国であるなら、より信用のあるアメリカへと資本が逃避することになるため、東南アジア諸国の成長システムは経済のバランシング(見えざる手)により破壊されることになったとの見解もある。

日本では郵便貯金が国債の最大の引受け先であるために被害を抑えることができたと言われている。韓国が通貨危機に際して1997124日にIMFと合意した金融支援は総額550億ドル。内訳は次の通り、 国際通貨基金 210億ドル 世界銀行 100億ドル アジア開発銀行 40億ドル 日本 100億ドル アメリカ 50億ドル その他 50億ドル。

変わる産業地図

アジア通貨危機。バンコク校外にあるシャープ・アプライアンシズ・タイランド(SATL)。白黒のレンジをカラー化する構想を考えている。シャープの電子レンジの輸出拠点で世界最大規模の生産量を誇る同社は、一昨年7月の通貨危機にともなうバーツ切り下げを追い風に、生産を延ばしてきた。1998年の生産台数は260万台と前年に比べ1割増え、今年はさらに300万台を見込む。しかし、フル操業が続くなか、全生産の6割近くを輸出している米国の経済の先行きが懸念材料になってきた。

絶好調の米国景気がどこまで持続するか、一部の警戒感も出始めたことから、深田芳彦・社長は4月に米国内を見て回り「米国頼りの一辺倒では危険だ」との判断を固めた。レンジのカラー化は、カラフルな製品に人気が集まる東南アジア市場を開拓するための戦略。カラーレンジは8月に出荷される予定になっている。東南アジアに進出した輸出企業にとって、通貨下落は競争力を高める恰好の材料になった。だが、輸出品を吸収してくれる米国経済の加熱感の高まりが暗雲として漂い始めている。さらに素材分野の輸出型企業の先行きを大きく左右するのが中国の動向。東南アジアの通貨安を背景に、多くの繊維メーカーが輸出に拍車をかけた。ところが、昨年秋を境に事情は一変する。

ナイロン繊維は、通貨危機が発生した97年当時は、1キロ当たり3.4ドル程度だったのが、今年2月には1.6ドルに、ポリエステルは1.75ドル(97年1月)から0.7ドル(99年1月)と半値以下に暴落した。業界関係者によると、市況低落の最大の原因は、国営企業の業績悪化に悩む中国が昨年夏から、繊維製品の輸入の引き締めに乗り出したことだった。

中国市場に大きく依存してきた台湾や韓国化繊メーカーの製品が市場に溢れ出し、市況を一気に崩した形だった。この4月以降、ナイロン、ポリエステルの市況は改善傾向にあるが、これも中国国内での取引価格の上昇がきっかけになっている。さらに万一、中国が人民元の切り下げに踏み切るような事態になれば、中国のメーカーと競合する輸出企業にとっては大きな脅威となる。

東レのインドネシア現地法人11社を束ねる安東晋司・代表は「中国への輸出比率は輸出全体の1割程度に過ぎないが、巨大な中国に翻弄されている」と率直な思いを語る。通貨危機からまもなく2年。東南アジアの経済に対しては「最悪の時期は去った」との見方が広がっているが、経済が安定し内需がしっかり回復するまで、米国と中国という輸出の「受け皿」の目が離せない状態は続く。99/6/5

韓国経済危機・日本にも危機感 ~高まる金融不安・“再建支援を”の声~

韓国のウォン急落や株式市場の暴落、金融不安の高まりに、日本の経済界でも危機感が広がっている。日本の金融市場にとっては、隣国の不安と悪影響しあってさらに相場が急落しないか、心配が募る。産業界にとって韓国は主要な貿易相手。韓国政府が金融安定化策を発表したことについて、「日本も何らかの形で韓国経済の再建に手を貸すべきだ」との声も出始めている。韓国向け工作機械輸出が年間80億ー90億円あり、受注額全体の1割を占める東芝機械は、ウォン暴落について「財閥の経営不安ですでに引き合いが落ち始めており、今回の暴落でさらに受注が減るのではないか」と心配する。

通関統計では、1996年に叛から韓国に輸出された工作機械は740億円で、米国に次いで2番目に大きな市場。数少ない国内の好調業種である工作機械業界に、深刻な影響を与えかねない。韓国の起亜自動車に出資しているマツダは、起亜向けに250億円(96年度)の自動車部品を輸出しているが、起亜が経営危機に陥ったうえ、急激なウォン安で輸出額は大きく落ち込む見通しという。石油化学業界では、需用環境が悪くなっていたところに資金繰りが苦しくなった韓国メーカーが製品を投げ売りした影響で、市況が急落した。

一部の合成樹脂では、10月初めに1トンあたり565ドルだったものが、500ドルを割り込んだ。さらに、96年末で234億ドルに達する邦銀の韓国向け融資について懸念する声もある。長銀総合研究所の深川由紀子・主任研究員は「韓国経済が混乱しても日本の製造業は体力があるから何とか耐えられるが、邦銀にとって影響が大きい」と指摘する。「国際通貨基金(IMF)などを通じて、日本も韓国の経済再建策を手助けすべきだ」と強調する。

韓国政府がウォン急落に後押しされる中で打ち出した金融安定策について、市場関係者の間には「韓国経済の混乱を考えれば、国際通貨基金(IMF)などに支援を要請せざるを得ないのではないか」との見方がある。さらに、安定した成長軌道に戻るには「高賃金、財閥中心といった韓国経済構造の抜本的な改革が必要ではないか」との指摘も出ている。韓国経済は、1994、95年には円高に苦しむ日本を後目に自動車や半導体など輸出を増大させたが、95年半ばからの円高修正で競争力に陰りが見え始めた。

円高下で設備投資に走った反動は、起亜自動車など大企業の経営の行き詰まりになって現れた。過大な設備投資や無理な事業多角化などに走った企業を抱える財閥に連なる金融機関が反動で不良債権を抱えた結果、金融システム不安を招いたのが今回の構図。これに対して打ち出された今回の金融安定化策に、市場関係者には「金融不安の解消に一定の効果をあげる」と見る向きがあるものの、金融不安の根底にある脆弱な産業構造、人件費やオフィイス賃料の高さなど「高コスト体質」には手がつけられていない。

そこで、目先の通貨不安を乗り切ったとしても、根本的な解決には「これまで先送りされていた経済構造改革に手をつける必要がある」との見方が強く、再び金融不安が起きる懸念がある。このため、市場関係者の間でも「通貨安定には、結局はタイやインドネシアのようにIMFなどの国際金融界の監視のもとに厳しい経済運営をする必要がある」との指摘もある。とはいえ、「国際金融界に支援を求めるとすれば、経済協力開発機構(OECD)に加盟した韓国にとっては屈辱的。本当にできるのか」など疑問視する声も日本の金融界にはある。97/11/20

ウォン急落。韓国の為替政策は、1日の変動幅を設け、それを超えると取引が停止される管理変動相場制をとっている。ウォン相場は、昨年はじめに1ドル=700ウォン台後半だったのが、経済成長の鈍化などを背景に下落基調に入り、今年夏には1ドル=900ウォン台にまで売り込まれた。その後も企業の相次ぐ経営破綻や香港ドルの混乱など加わり、11月中旬、ついに1ドル=1000ウォンの大台を割った。通貨当局が断続的な介入に入ったものの、功を奏していない。信用力が低下した金融機関の外貨調達がウォン安を加速させた。

『再生のきしみ』「我が銀行の経営陣は、ぎりぎりまで経営の健全化に努力した。清算の決定には、深く失望した」。11月2日。インドネシアのアンドロメダ銀行の広報担当役員、ピーター・ゴンサ氏はTVの会見で述べた。11月1日、インドネシア政府は、239ある銀行のうち多額の不良債権を抱える16行の清算を決めた。同国通貨のルピア下落で、国際通貨基金(IMF)が支援の条件に求めた経済改革の一つ。通貨危機の根本には、金融機関の不透明でずさんな融資姿勢があった。

そして、清算の対象には、スハルト大統領の親族が経営に絡む3行も含まれていた。アンドロメダ銀行の会長は大統領の次男、バンバン氏。同行は、グループ企業の石油化学プラント「チャンドラ・アスリ」などに、総融資額の2割を超える貸出をおこなう違犯行為をしていた。バンバン氏は「この国の9割の銀行が同じことをやっている。家族の威信を傷つけ、父の再選を阻もうとする謀略だ」と、一時は決定の撤回を求める行政訴訟まで起こした。

IMFは、支援の条件に大統領の3男が進める「国民車」計画の断念も求めた。アジア諸国は強い政治権力をてこに「開発独裁」型の経済政策を進めたが、通貨危機はその権力構造の転換待で迫った形。同時に「GDP比率1%の財政黒字達成」を目標にした緊縮財政を求めた。これに対し、インドネシアの経済調査機関「エコニット」代表リザル・ラムリ氏は、「緊縮財政をとれば、公共交通機関の燃料に対する政府補助金をやめざるを得なくなり、貧しい庶民の生活を直撃する」と指摘する。

「IMFに支援の条件を緩めるよう日本からお願いして欲しい」10月29日、スハルト大統領は電話会談した橋本竜太郎・首相にこう要請したのも、インドネシアの国内政治への懸念を示したものだった。だが、日本には飲めない注文だった。

むしろ日本がアジアの期待に答えて進めようとしたのが、「アジア通貨基金(AMF)」の設置構想だった。IMFの支援条件の厳しさには、タイでも不満は根強い。AMF構想が具体的に浮上したのも、タイ支援の協議のなかだった。11月初旬、マレーシアのクアラルンンプールで「G15首脳会議」が開かれた。アジアやアフリカの15途上国の首脳が集結したこの会合では、「通貨取引に新たな規制導入」をIMFなど国際機関に求めることを決議した。

「投機やマネーロンダリングの金が、世界市場を飛び回っている。その金が、どこから来ているのか。それを知ることが重要だ。」スハルト大統領や、フジモリ・ペルー大統領らが集まった会議後、マハティール首相は記者会見で、資金の流れの「透明性」を高める必要性を強調した。タイからインドネシア、そして、韓国、香港とまるでドミノ倒しのように、次ぎから次ぎへと続く通貨危機の連鎖…..

IMFが、通貨下落と株安を世界に広げた「感染症」に有効な治療法を持たないことに、アジア諸国ではアジア諸国では不満がたぎっている。IMFのカムドシュ専務理事は、18、9日にフィリピンのマニラで開かれた蔵相・中央銀行総裁代理級会議を前に、東南アジア駆け巡った。シンガポールでの会見でカムドシュ専務理事は「通過危機の防止には、各国の経済運営に対する地域的な監視強化がなによりも欠かせない」と強調したが、決定的な対策を持ち得ないこともうかがわせた。

アジアが世界の成長センターであることを当然の前提に、アジア太平洋経済協力会議(APEC)は貿易と投資の自由化を推進してきた。だが、コンピュータネットワークの発展や金融派生商品(デリバティブ)など高度な金融技術の発達で、巨額の資金が瞬時に世界を飛び回り、通過市場をかく乱させる現実が、APECの「発展のシナリオ」を狂わせている。今回バンクーバー会議で「通貨問題」が初めて議題になる。97/11/20

通貨危機に伴う財閥解体

通貨危機が経済全体の落ち込みへと発展し、それが去りつつある今、大宇だけでなく、韓国の五大財閥の多くが、苦境にあり、解体されつつある(五大財閥は、現代、大宇、三星、LG、SK)。とはいえ、財閥が解体されるに至った原因は、通貨危機という外部要因だけではない。もう一つ、昨年就任した金大中大統領の政治的な意思が、財閥解体の背後にある。韓国の財閥システムは、政府から特別な扱いを受けて事業拡大した輸出産業が、韓国全体の外貨獲得に貢献し、経済成長を実現するというやり方だったが、これは戦後の日本政府の企業政策とよく似ていた。

この制度の元には、政府が金融機関を統制し、銀行の主要な貸し先をどこにするかということを事実上、政府が決める政策があったが、それも日本と同じだった。「終身雇用」の制度がある点も同じだし、マスコミが記者クラブ制度を通じて官僚や財界と密着し、言論統制の機能を果たす、というシステムもそっくりだった。

これらの点から、韓国の制度は「戦後日本型」であるといえるのだが、金大中氏は、大統領になる前から、このシステムを改める必要があると考えていた。このやり方は、国の経済を高度成長させる必要があるときは有効だが、戦略が成功して先進国になってからは、戦略を改めていく必要がある。

19世紀末、日本が明治維新によって西欧化に着手していたころ、韓国は西欧化への対応が遅れ、そのために日本の植民地にされてしまった。それから100年あまりが過ぎ、現在は再び、アジア諸国は変革を求められている時代だが、ライバル日本は、今回は動きが鈍い。この間に、韓国がアメリカ流の世界標準の国家システムをとり入れて日本型システムを脱すれば、日本に対する100年の苦渋を晴らすことができるというわけだ。

韓国は独立後、当初は輸入を抑えて自立する「輸入代替型」の経済システムを目指したが、うまくいかなかったため、朴正煕大統領の時代になって、日本型システムに転換した。だが反日感情の強さゆえ、日本型システムを導入しながらも、それを公式に認めるわけにはいかなかった。そのため、経済システムは日本と似ているが、文化面では日本のものは禁止、という状態が続いた。金大中氏は「脱日本型」の改革を進める一方で、日本文化の韓国流入を解禁し、日本に対するコンプレックスやタブーを解消することに努めた。

経済危機を外圧として利用した金大中氏

韓国の大統領は、大きな権限を持っている。だが、韓国ではすでに、日本型システムを前提として、官僚、財閥、マスコミなどの権力構造は強固なものになっており、金大中大統領の改革は、各方面から強い反発を受けることは必至だった。そこで、大統領は「外圧」を使った。金大中氏は、昨年2月の大統領就任に先駆けて、国際金融投機筋の大御所であるジョージ・ソロス氏や、国際的なメディア王と呼ばれるルパート・マードック氏と会い、韓国への投資を呼びかけた。

彼らが韓国の金融機関やマスコミを買収し、日本型システムを堅持している国内勢力と戦ってほしい、と大統領は考えたのだろう。金大中氏が大統領に就任したころはちょうど、通貨危機への対応策として韓国政府がとった、緊縮財政と高金利の政策の副作用によって、財閥を頂点とする韓国経済の全体が、失業増や消費減、金利負担増、生産設備の過剰などに苦しんでいた。

そんな中で金大統領は、日本型システムの象徴ともいうべき財閥に対し、経営者一族が経営権を手放し、不採算部門を整理統合するなら、国が緊急融資などで支援する、という条件を出した。また財閥に対して、自己資本比率という、経営の健全性を示す数値の改善を義務づけた。

自己資本比率というのは、企業の借金が多いほど悪い数字になってしまうもので、大宇のような借金経営の企業は、自グループのいくつかの企業を売却し、その代金で借金を返すことを迫られた。金大統領は、財閥が経済危機で苦しんでいることを利用して、財閥の力を縮小させようとしたのだった。これに対して、財閥各社は、気乗りしないながらも従った。最大の財閥である現代は、グループ企業を従来の79社から26社に減らし、特化する部門を限定した。LGは、半導体部門を三星に売却した。三星は、傘下の建設機械メーカーを、スウェーデンのボルボに売った。

ところが、こうした動きの最中に、予想外の展開が起きた。IMFが韓国など経済破綻国に命じた高金利政策が、間違っていた可能性が高まり、韓国は金利を下げることになった。昨年6月には16%だった韓国の政府金利は、9月には7%となり、その後5%にまで下がった。これは財閥にとって、自力での資金調達がやりやすくなり、その分、政府の言うことを聞かなくてもよくなることを意味していた。

しかも、金利を下げたことにより、各種の産業が運転資金を得やすくなって、生産増、消費増、輸出増へと結びつき、韓国経済は今年に入って、意外にも急成長に戻ってしまった。これによって、金大中氏と、財閥や官僚といった現状維持派との攻守はところを変え、財閥はいったんは了承した傘下企業の売却や規模縮小を、理由をつけて延期・中止するようになった。そして、こうした逆転と同期するかのように、大統領側近のスキャンダルが暴かれ、大統領の支持率が下がっていった。

そんな中、大統領が、財閥解体政策の最後の砦として実施しようとしているのが、大宇グループの解体である。大宇は、昨年後半の低金利傾向の中で、運転資金などを調達するために、本来は減らすはずだった借金を、4割も増やしてしまった。そのため、もはや政府や債権者団の支援なしには、日々の資金繰りがままならない状態だ。

大宇を解体してしまえば、大統領としては、財閥解体による経済改革を成し遂げたと国民に言うことができる上、解体に消極的な他の財閥にも、大統領の力を誇示できる。7月27日、韓国政府は、大宇に金を貸している債権者団が、今後の大宇の解体や再建についての決定権を持つ、という方針を発表した。それまで、大宇の再建についての最終決定権は、創業者である金宇中会長が握っていたが、それを奪い、銀行と政府の管理下に置く、という決定だった。だがその3日後、政府自らがこの決定を覆し、決定権は再び金宇中会長に戻った。

このどんでん返しの背景には、二つの事情が指摘されている。一つは、大宇という巨大財閥の全容を知っているのは、金宇中会長だけだということ。銀行や政府などは、自分たちが、複雑な財閥内部の事情を把握するのは不可能で、無理をして失敗すれば、大宇グループだけでなく、韓国経済全体に深刻な影響を与えかねない、と判断したという読みである。もう一つは、債権者団の中にいる外資系企業の扱いをめぐってであった。

大宇の借金の約2割は、海外からの借入れだが、貸し手の外国金融機関が、大宇解体の意思決定に参加することは、国民感情から考えて、韓国政府が肯定できるものではなかった。政府は、今後の大宇の運命を決める債権者会議から、外資系の債権者を外す方針を打ち出したが、当の外資系企業がこれに猛反発し、構想全体が流れたというものだ。

韓国政府は、このどんでん返しの理由を説明していないため、上記の二つは推察の域を出ないが、いずれの理由であったとしても、韓国経済の根幹に位置している大財閥を解体することが、容易ではないことを表している。この後、政府は、金宇中会長と水面下での交渉を進めているらしく、大宇の中核企業である大宇自動車など、自動車関連のみをグループ内に残すことで、金会長の最低限の面子を維持して協力してもらい、他の部門は売却する、という方針が固まりつつある。

実は、大宇に自動車部門だけを残したことも、政治的な裏がある。韓国の自動車メーカーの中には、プサンに工場を持つ三星自動車が、経営難に陥っている。金大中大統領は、政治的な意図から、三星のプサン工場を再建したいと考えており、それを大宇の金会長にやらせたいのではないか、とみられている。韓国は伝統的に、地域対立の激しい国で、プサンがある慶尚道の出身者が、政治経済の権力を握っているのに対して、金大中大統領の出身地である全羅道に育った人々は、たとえ優秀でも、政府や企業内で出世する可能性が低い、と言われてきた。

全羅道出身者である金大中氏は、三星自動車のプサン工場をつぶさず、大宇によって再建させることにより、慶尚道の人々に恩義を着せつつ、政治的支持を獲得したいのだ、とみられている。財閥解体・再編は、純粋な経済行為ではないのである。結局のところ、韓国のシステムは日本型を脱することができるのか。その結論は、まだ出ていない。そして、日本型を脱した後、韓国がどのようなシステムに落ち着くのかも、まだ見えない。アメリカのシステムをそのまま採用することは、貧富の格差を広げてしまう可能性などもある。韓国の試行錯誤は、まだ続きそうだが、ほとんど試行錯誤をしていない日本より、先を行っているといえるのではないか。98816

韓国財閥・大宇解体へ

(だいうorデーウ)かつて存在した韓国の企業グループの一つで、大宇グループとも呼ばれていた。韓国の十大財閥の一つであった。アジア通貨危機で苦境に陥り、1999年夏、ゼネラルモータース(GM)による中核企業の大宇自動車への出資交渉が決裂し経営難が明らかに。 結果、政府によるグループ解体が行われた。その過程でグループ会長の金宇中が43兆ウォンを持ってヨーロッパに逃亡。 2005614日にベトナムから帰国。現在、背任などの罪で裁判を受け、20065月に懲役10年、と210億ウォンという過去最高の罰金を科す判決を受けた。なお傘下の企業は債権団の管理下(ワークアウト)の中、順調に再建を果たしており、建設機械で最大手の大宇総合機械を筆頭に売却が始まったが、 その過程で大宇の名を冠した企業は減っていくものと見られる。

韓国財閥・大宇、解体へ ~再建策合意・自動車関連売却~

深刻な資金繰り難に陥っている韓国の大手財閥・大宇グループ(金宇中・会長25社)の債権銀行団は16日、同グループを自動車関連中心の6社体制を縮小・再編する最終的な再建策をまとめ、グループ側と特別約定を締結した。他は年内に系列から分離・売却される。1967年に金宇中・会長創業の大宇事業に始まり、高度成長に乗って事業分野を拡大して積極的な国外展開も続け、資産規模で韓国2位の財閥となった同グループは、これで事実上の解体に向かう。系列社売却が順調に進むかどうかなど、今後の不確定要素もまた多い。

再建策によると、大宇グループは、米自動車業界最大手GMとの戦略的提携方針が決まっている大宇自動車を中核に、大宇自動車販売、大宇キャピタル、大宇通信の自動車部品部門、外国での自動車関連法人の管理を行う現グループ中核企業・大宇の貿易部門、大宇の貿易部門、大宇重工業の機械部門、の計6社体制にする。

大宇証券や大宇電子、大宇の建設部門、大宇重工業の製造部門などの他の系列社・部門は分離し、合併や、外資を含む他社に売却する計画。大宇グループは昨年12月、系列を41社から4業種・10社に縮小する計画を明らかにし、今年4月には造船部門売却などの追加再建策を発表した。しかし、他の大手財閥に比べて構造調整遅れが目立ち、資金難に直面。韓国政府も大胆な構造調整を行うよう圧力をかけてきた。99/8/17

大宇解体・財閥改革のモデルに~金大中政権・総選挙控え成果急ぐ~

韓国の財閥で資産規模2位の大宇グループ(金宇中・会長)が債権銀行団と16日に結んだ特別約定により、事実上の解体を余儀なくさる。1997年11月に表面化した通貨・経済危機の要因の一つには財閥企業のずさんな経営体質があっただけに、直後に発足した金大中政権は経営の透明性強化や中核事業への集中・整理などの財閥改革の必要性を強調してきた。政権として、来春の総選挙も考え、その財閥改革で目に見える成果を上げるため、「大宇問題」の処理をモデルケースにしたい思惑もあって影響力を行使してきた節がある。大宇グループには、国外で現地法人が調達した約68億ドル(約7800億円)も含めて約60兆ウォン(約6兆円)の負債がある。

韓国の国家予算の7割にも相当し、短期資金の返済問題からグループの資金繰りに陥った。創業者の金宇中・会長が私財1兆2000億ウォンを出すなど、グループ全体で10兆1000億ウォンの資産を国内債権銀行に拠出する代りに、短期債務の返済繰り延べを7月19日に要請し、債権団も受け入れた。

しかし、信用低下も響いて、大宇関連株をはじめ全体の株価が急落し、金利も上昇するなど金融市場が不安定となった。政府は同25日に公的資金投入も含む緊急の市場安定化策を決め、大宇の構造調整の加速化も求めた。大宇側によると、金・会長自身、自動車部門が正常化すれば経営の一線から退く意向。

他の大手財閥と比較した大宇グループの構造調整の遅れがあり、首相直属の機関・金融監督委員会の季憲宰・委員長がさる12日に「大宇で残るのは結局、自動車関連だけなるだろう」と記者団に語ったり、金・大統領も15日の演説で、大宇問題を念頭に「一部財閥に対しても、透明な原則によって厳正に処理し、(経済危機の遠因ともなった)起亜自動車の(処理の遅れ)ような事態がおきないようにする」と述べるなど、政権側も危機再来を防ぐために、大宇問題には積極的に発言してきた。

もっとも、再建策に基づく系列社の売却がうまくいくかという課題に加えて、国内債権団だけに大宇側が担保を出したことに対する外国債権団の不満や、対外債務繰り延べ交渉、労組の反発など「大宇再建」には多くの難題も控えている。99/8/17

韓国に、金宇中という経営者がいる。彼の会社で以前、若手社員がアメリカに出張した際、ラスベガスに行って出張用に持っていた金を全部、カジノで負けて使い果たしてしまうという事件があった。このことを知った金氏は、その社員を呼びつけ、もう一度会社の金を持ってラスベガスに行き、カジノで勝って金を取り戻してくるよう命じた。社命を帯びてカジノに再度挑戦したその社員は、二度目は勝って帰ってきた。金氏はその後、その社員を昇進させたといわれている。金氏が経営しているのは、大宇グループという、韓国で2番目に大きな財閥である。いや、正確に言うと、これまでは、韓国で2番目に大きな財閥だった。大宇グループは今、経営が破綻し、まさに解体されようとしているからである。

韓経ともに成長した大宇グループ

金宇中氏のビジネスは1960年代末、シャツを作ってアメリカの百貨店などに売ることから始まった。当初、作ったシャツが粗悪品で問題があったが、金氏はアメリカ国内のライバルメーカーがどんな縫製機械を使っているかを調べ、同じ機械を買い、労賃がアメリカより安い韓国の自社工場に入れることで、ライバルに勝って売上を急拡大させた。その後、金氏は他の製造業にも事業を広げ、積極的に国際展開した。それが当時ちょうど、輸出産業を特別に育成することで、高度経済成長を実現しようとしていた朴正煕大統領の目にとまった。

大宇は、現代グループや三星グループなど、他の「財閥」と同様、政府から特別な地位を与えられ、銀行からの融資や政府許認可を優先的に得られるようになった。金氏が得意としたのは、自らを窮地に追い込み、そこから這い上がるパワーで経営を拡大する手法だった。

銀行から巨額資金を借り、自己資金ではなく借金だという緊張感をバネに事業を展開したり、リスクの大きな事業に次々と参入したり、というやり方である。ラスベガスで負けてきた社員に、背水の陣で再挑戦させたのは、金宇中流の経営の象徴であった。こうして大宇グループは、設立から30年弱の間に、自動車、造船、石油化学から、保険、不動産まで幅広く手がける大財閥となった。

だが、大宇グループの強さだった借入金による積極経営は、1997年の通貨危機を境に、長所から短所へと変わってしまった。IMFが韓国に命じた高金利政策によって利払いが膨らんだ上、通貨ウォンの下落は、ドル建て借金の返済を難しくしたのだった。大宇グループは現在、約6兆円相当の負債を抱えており、自動車製造など、中核的な部門だけを残し、他は売却する計画が、政府と金融機関など債権者を交えた協議によって進められている。

ロシア通貨危機 Russian financial crisis

『ロシア金融危機から1年・崩壊経済再生半ば』
~輸出産業に勢い・賃金目減り、生活切り詰め~
通貨ルーブルの大幅切り下げや、民間対外債務の支払凍結(モラトリアム)などの緊急措置の発表でロシア経済がパニック状態に陥った「金融崩壊」から17日でまる1年。国民所得は大きく目減りし、多くの銀行経営が破綻するなど、傷跡も生々しい。一方で、原油価格の上昇やルーブル切り下げ効果による輸出増などを受け、工業生産がこの7月にかつてない伸びを示したように、経済に活性化の兆しも出ている。だが、内閣の相継ぐ更迭という政治の混乱が構造的改革の進展を妨げており、本格的な経済の回復は来年夏の大統領選の後になるとの見方も強い。

切り下げ前に6.3ルーブルだった対ドルレートは、現在25ルーブル近くで安定している。それでも、輸入食品などの値上がりで切り下げから今年7月までインフレ率は118%を記録した。国民の実質賃金は、今年1月から4月までの昨年同期比40%減った。今年前半の平均月給が最低水準の36ドルに届かない貧困層は、5170万人と人口の35%に達し、昨年同期から13ポイントも増えた。こうした状態を多くの人々は、「食はパン、じゃがいもを増やし、肉、魚を減らす。衣類や靴はめったに、車、家具はまず買わない。公共輸送機関はなるべくただ乗り」という生活でなんとかしのでいる。

ところが、国民生活を示す数字とは裏腹に、工業生産は5月に前年同月比6%増、6月に9%増とこの春を大きく上向いた。7月は12.8%増で「1992年から経済改革期だけでなく、70年代以降の旧ソ連時代を含めて最大の伸び率」だった。特に生産増が著しいのがルーブル切り下げで輸出競争力のついた石油化学、木材、鉱業など。金融崩壊時に1バレルで9ドル程度だった国際原油価格も20ドル台に上昇、今年1月から4月まで87億ドルという貿易黒字の大幅増につながり、対外債務返済を楽にした。加えてコソボ紛争収拾への協力を見返りに得た主要国首脳会議(ケルン・サミット)での支持で国際通貨基金(IMF)の融資が再開、旧ソ連時代の債務繰り延べでもパリ・クラブ(主要債権国会議)と合意した。

税収も7月には目標額を上回るなど、徴税状況の大幅改善も、マクロ経済面の安定に大きく貢献している。だが、輸入激減という好条件にも関わらず、食品や軽工業の生産はそれほど伸びていない。投資環境の整備や税制の簡素化などが進まないため。ザハロフ・モスクワ外貨取引所理事長は「輸出増から燃料や原料の生産が偏重され、原油価格にも過度に依存する構造派、21世紀に向かい生ロシア経済に好ましいとはいえない」と警告する。首相解任を繰り返すエリツィン大統領のもとの不安定な政治情勢が、外国からの投資を後込みさせていることも打撃。暮れの下院選から来年の夏の大統領選に向け、予算ばらまき型の人気取り政策の横行も予測されるだけに「今後1、2年は経済改革はとまらざるを得ない。旧ソ連時代の対外債務削減などロシア経済にとって重要な問題の解決も、大統領選の結果を見た後となるだろう」と予測される。99/8/18

ブラジル通貨危機 Brazil financial crisis

『ブラジル変動相場制移行・背伸びレート、圧力に白旗』
ブラジル政府が15日、通貨レアルの急落を容認する変動相場に事実上踏み切ったことで、経済の実力以上に「背伸び」した為替レートは国際投資家の強い売り圧力にさらされて維持できなくる、という市場経済の冷徹な倫理が改めて浮き彫りになった。米国などの金融市場では同日、ブラジルが「現実的な政策に転じた」と交感、株式市場は軒並み高騰した。しかし、ブラジルをはじめ中南米経済の先行きは不透明。また、市場では次ぎの「標的」として中国・元などを挙げる声が出ている。通貨レアルに起きたのは、ロシアのルーブルや韓国のウォン、インドネシアのルピア、タイのバーツなど、それぞれの経済の実態より背伸びした為替レートに対し、投機筋を含めた投資家が「通貨売り」を浴びせてきた一昨年のアジア危機以降の現象。市場ではこれまで、ブラジルの膨張する貿易赤字や財政赤字をみて「レアルはドルに対して、経済の実力より30%は高く設定されている」という相場観が定着していた。それでもブラジル政府が高めのレアルを維持したのは、インフレ対策と、対外債務を払いやすく狙いもあった。しかしこの路線は、国際投資家の厳しい点検にさらされた。

ブラジルの財政赤字は国内総生産(GDP)の8%に達し、貿易赤字とあわせた「双子の赤字」で「放置すると国家財政の破綻につながりかねない」といわれている。議会の財政再建審議が難航し、今月は地方財政危機も表面化。不安を抱いた投資家が資金を国外に引き出す動きが加速した。混乱を抑えるため、ブラジル政府と国際通貨基金(IMF)、米国政府などが支援策を協議し始めた。15日の各国の金融市場はそれを取りあえず評価し、平均株価の上昇率はブラジル33%、メキシコ8%、ペルー6%、米国2%などとなった。ブラジル政府は18日にも、レアルの目標相場圏の放棄に伴う為替政策などをまとめ、同日発表予定のIMF支援策と伴に市場の混乱を収束させたい考え。

しかし、米国証券大手のリーマン・ブラザーズは15日、「ブラジルと中南米経済の先行きはさらに暗くなった。米国経済への減速圧力も増す」と見通しを発表。また米銀大手J・P・モルガンは「他の中南米やアジア通貨への売り圧力も高まりかねない。世界の金融市場はかなり不安定な状態だ」と警告する。市場では「次ぎの標的」の通貨としてアルゼンチン、香港、中国などが挙がっている。99/1/17

『ドル化論』通貨危機がブラジルを襲っている。そのなかで「ダラライゼーション」という言葉が流布し始めた。直訳すれば「ドル化」。通過不安から逃れるために、いっそ自国通過を放棄し、米ドルを使おう、という奇策である。アルゼンチンは、中央銀行自身が通過ペソをドルに切り替え構想を打ち出した。メキシコでは、民間グループがドル化を提案した。香港の経済界の一部でも、ドル化の利点がささやかれている。「寄らば大樹」の動きは欧州にもある。

こちらの主役は、もちろんユーロ。欧州連合(EU)に加盟していながらもユーロ参加を見送った英国、デンマーク、スウェーデンでは、ユーロへの合流を急ぐべきだとする声が高まっていた。EUへの加盟を申請しているポーランドなどにとっては、ユーロを使えるようになることが加盟の大きな魅力。ユーロの拡大はいざしらず、ドル化の方は近い将来実現するとは考えにくい。自国の国民感情を逆なでするような話しだし、金融政策を米国にゆだねてしまっていいのか、いざというときに米国が助けてくれるのだろうか、という問題もある。アルゼンチンの場合も、本気で実現を目指すというより、ペソ防衛の決意を示すのが狙いだろう。けれど、少し前なら、まったくの絵空事、と片付けられたに違いない「ドル化」が、最もらしく語られ始めた。その様変わりに、通過投棄に翻弄される各国の悩みの深さを見て取れる。

例えば、ブラジルは投棄の波が押し寄せることを予想して、通貨防衛の構えをとっていた。政府は通貨レアルのドル連動制を守ることを宣言し、投機筋が問題にしていた財政赤字を削減する方針を打ち出した。昨年11月には国際通過基金(IMF)から415贈ドルの資金援助を受けることでも合意した。だが、防衛網はあっさり破られた。連動制を捨てて変動相場制に移った後も、レアル売りは止まらず、高金利で通過安、という最悪の状態に追い込まれた。アルゼンチンは香港とともに「カレンシーボード」と呼ばれる通過制度を採用している。ペソとドルと固定相場で無制限に交換できることを保証する制度で、ドル連動制としては最も強固な仕組み。それでも投機の圧力は続き、ペソ防衛のために高金利を余儀なくされている。

アジア危機以来、資本移動の制限、ヘッジファンドの規制、IMFの強化など、様々な危機防止策の提案があった。しかし、多くは効果が疑問視されたり、副作用が大きかったりで、決め手にかけるのが実情。通過の安定をあきらめ、その価値を市場にゆだねる変動相場制への移行を選んだ国も少なくない。マネーの暴力的な力の前に、国際金融システムは無力ぶりをさらけ出した。通貨危機で経済が破壊される例が重なるにつれ、経済力が小さい国の間では「究極の安定策」を採用する誘惑が強まる。ドル化とまではいかなくとも、カレンシーボードのように、ドルやユーロと強固に結び付く制度を取り入れる国は、これから増えていくかもしれない。国際金融改革のもたつきをあざ笑うかのように、市場がシステム変更を迫ろうとしている。99/2/17

ロシア通貨ルーブルは、前日には比べ10%急落した。下げ幅は1994年10月の「暗黒の火曜日」と呼ばれる27%の大暴落以来。ロシアの内閣更迭を受けて新首相候補になったチェルノムイルジン氏の経済政策の方向性がはっきりしないため、ルーブルからドルへの交換需用が再び急増したと見られる。98/8/25

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